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鹿のめぐみ試食会 in 小諸 - わんちゃんお気に入りの国産鹿肉ペットフード -

鹿のめぐみ試食会 in 小諸 - わんちゃんお気に入りの国産鹿肉ペットフード -

5月第三土曜日、今日は長野県小諸市にやってまいりました。 実はもう10年も続けているビオマルシェですが、今年最初の開催でしたので行ってまいりました。 あぐりの湯は小諸市民の憩いの温泉場で親しまれていますが、その広場での開催でしたが、温かな日差しの中で大勢の人達がオーガニックな商品とおしゃべりを楽しんでいました。 今回は鹿の恵みの試食会も兼ねて参加しました。   初めての場所なのであまり期待はしてなかったのですが、殆どのワンチャンが試食してくれて、その食べっぷりの良さにちょっと驚きでした。 ビオマルシェですから来られる人たちですからオーガニックで安心して食べられるものや使えるものを買いに来てるのですから、バッチリでしたね。     やはりペットフードの試食会というのは、本当に食べてくれるのか、気にされているオーナーさんには安心ですよね。 鹿肉の高タンパク、低脂肪、高ミネラル、この3大特徴をしっかりとお伝えできます。そして何より大自然の中の草や葉っぱを食べているので、安心です。 牛豚鳥などの家畜は遺伝子組み換えとうもろこしやホルモン剤などを入れた人工的な輸入飼料を食べて大きくしていくのですが、それからみたらなんと鹿肉は安全なのでしょうね。そんな事を説明させてもらいます。 小諸あたりの住民は鹿の害を目の当たりにしています。その鹿を捕獲してその命を無駄にしないでペットフードにしたんですって説明すると、やっぱり実感が湧いてきますよね。     今回は1+1のキャンペーンを紹介していますので、一般食の賞味期限4/14のものをもれなくつけましたので、皆さん大喜びでした。 賞味期限切れなんですけどよろしいでしょうかと前もって伺いますが、100%オッケーですね。 やっぱりこのようにして、リアルにお客様がお話ができるっていいですよね。 買い物は投票って言いますよね。 納得して一票!鹿の恵みはゲットしました!  

鹿のめぐみ試食会 in 小諸 - わんちゃんお気に入りの国産鹿肉ペットフード -

5月第三土曜日、今日は長野県小諸市にやってまいりました。 実はもう10年も続けているビオマルシェですが、今年最初の開催でしたので行ってまいりました。 あぐりの湯は小諸市民の憩いの温泉場で親しまれていますが、その広場での開催でしたが、温かな日差しの中で大勢の人達がオーガニックな商品とおしゃべりを楽しんでいました。 今回は鹿の恵みの試食会も兼ねて参加しました。   初めての場所なのであまり期待はしてなかったのですが、殆どのワンチャンが試食してくれて、その食べっぷりの良さにちょっと驚きでした。 ビオマルシェですから来られる人たちですからオーガニックで安心して食べられるものや使えるものを買いに来てるのですから、バッチリでしたね。     やはりペットフードの試食会というのは、本当に食べてくれるのか、気にされているオーナーさんには安心ですよね。 鹿肉の高タンパク、低脂肪、高ミネラル、この3大特徴をしっかりとお伝えできます。そして何より大自然の中の草や葉っぱを食べているので、安心です。 牛豚鳥などの家畜は遺伝子組み換えとうもろこしやホルモン剤などを入れた人工的な輸入飼料を食べて大きくしていくのですが、それからみたらなんと鹿肉は安全なのでしょうね。そんな事を説明させてもらいます。 小諸あたりの住民は鹿の害を目の当たりにしています。その鹿を捕獲してその命を無駄にしないでペットフードにしたんですって説明すると、やっぱり実感が湧いてきますよね。     今回は1+1のキャンペーンを紹介していますので、一般食の賞味期限4/14のものをもれなくつけましたので、皆さん大喜びでした。 賞味期限切れなんですけどよろしいでしょうかと前もって伺いますが、100%オッケーですね。 やっぱりこのようにして、リアルにお客様がお話ができるっていいですよね。 買い物は投票って言いますよね。 納得して一票!鹿の恵みはゲットしました!  

鹿のめぐみプロローグ ー国産鹿肉ペットフード を作ることになったわけー

鹿のめぐみプロローグ ー国産鹿肉ペットフード を作ることになったわけー

渡邊はもう40年くらい前にアメリカのワイオミングで鹿をハンティングしたことがあります。渡邊が23歳から38歳までの15年間お世話になったタスコジャパンではライフルスコープを作っていました。毎年新しいモデルの発表に世界中のお取引先様やメディアの人をワイオミングの牧場に招待をしてPRをするのです。この時は日本から3名の方をご招待しました。一人はハードボイルド小説を書かれている作家、写真家、アウトドア用品を扱っている社長。この3名で、皆さんはすでに相当なハンティングの経験者でありました。渡邊は全くの素人で主催者側として引率をさせてもらいましたが、いきなり練習場に連れていかれて2時間ほど撃ち方を教わって、でもどういうわけか渡邊はすぐに的をちゃんと撃てるようになりました。自分でもちょっと驚きました。それからジープに乗って牧場に繰り出しました。 冬の寒い中、吐く息が白くて、雪はないのですが、ピーンと張りつめた乾燥した空気です。はるか遠くにいる鹿を見つけました。ジープを降りてほふく前進をしながらライフルを撃てる態勢取り狙らうのです。 ハンターのルールで仕留めた鹿はその時にすぐに腹を裂いて臓物を取り出してからジープに積み込んでミート工場にもっていくんです。渡邊は生まれて初めて生きている鹿をライフルで仕留めたのです。ライフルスコープから見るズームアップした鹿の目がまっすぐに私を見ています。撃て!と私のそばにいるコーチからの声で思わず撃ちました。ライフルスコープから鹿の顔が消えていました。約150m先の倒れている鹿を目の前にしてとってもショックでした。この自分が撃って殺してしまったのだということ。そして次にはハンティングナイフを渡されてお腹を裂いて臓物を取らなきゃいけないのだと聞かせれて、それはできないと涙ながらに言いましたが、それはハンターとしての倫理観とルールの上でぜひやって下さいと言われ、鼻水と涙でグチュグチュになりながら腹を裂いて臓物を取り出しました。フワッと湯気が立ち上り、おなかに手を入れて臓物を取り出しますが、その体温の高さと柔らかさ、今までちゃんと生きていた鹿をこの私が殺してしまったということに本当に申し訳ないと。本当にショックでした。 でもこのことを経験したからこそ、命の大事さ、人間が生きていくうえで多くの命の元をいただいているのだという実感、そして感謝が芽生えました。 また昨年亡くなられたCW二コル三との出会いも大きかったです。彼とは20年くらい前にお目にかかっていました。日本人の女性で鹿撃ちをした人に会ったのは初めてだったようです。それで鹿の食文化を日本にちゃんと根つかせたいって思っていた二コルさんは渡邊に鹿の解体書を贈ってくれました。   これらの経験が今の森から海への財団を立ち上げる大きな原体験としてエネルギーになったと思います。   それから何年もたって今の評議員の南正人先生とのであい、そして理事の池田雅子さんとの出会い。日本の鹿の森へのインパクトの大きさを教えてくれました。 本当にすごい被害を目の前にして、これを何とかしなきゃ、この森が死んでしまうんだ。 この森は22世紀までは持たない。行政は何をしているの?自治体は?環境省は?そんな疑問からいろいろと活動をしながら、渡邊も具体的に行動をしなければとの思いで鹿肉を使ったペットフードを作ることになりました。      

鹿のめぐみプロローグ ー国産鹿肉ペットフード を作ることになったわけー

渡邊はもう40年くらい前にアメリカのワイオミングで鹿をハンティングしたことがあります。渡邊が23歳から38歳までの15年間お世話になったタスコジャパンではライフルスコープを作っていました。毎年新しいモデルの発表に世界中のお取引先様やメディアの人をワイオミングの牧場に招待をしてPRをするのです。この時は日本から3名の方をご招待しました。一人はハードボイルド小説を書かれている作家、写真家、アウトドア用品を扱っている社長。この3名で、皆さんはすでに相当なハンティングの経験者でありました。渡邊は全くの素人で主催者側として引率をさせてもらいましたが、いきなり練習場に連れていかれて2時間ほど撃ち方を教わって、でもどういうわけか渡邊はすぐに的をちゃんと撃てるようになりました。自分でもちょっと驚きました。それからジープに乗って牧場に繰り出しました。 冬の寒い中、吐く息が白くて、雪はないのですが、ピーンと張りつめた乾燥した空気です。はるか遠くにいる鹿を見つけました。ジープを降りてほふく前進をしながらライフルを撃てる態勢取り狙らうのです。 ハンターのルールで仕留めた鹿はその時にすぐに腹を裂いて臓物を取り出してからジープに積み込んでミート工場にもっていくんです。渡邊は生まれて初めて生きている鹿をライフルで仕留めたのです。ライフルスコープから見るズームアップした鹿の目がまっすぐに私を見ています。撃て!と私のそばにいるコーチからの声で思わず撃ちました。ライフルスコープから鹿の顔が消えていました。約150m先の倒れている鹿を目の前にしてとってもショックでした。この自分が撃って殺してしまったのだということ。そして次にはハンティングナイフを渡されてお腹を裂いて臓物を取らなきゃいけないのだと聞かせれて、それはできないと涙ながらに言いましたが、それはハンターとしての倫理観とルールの上でぜひやって下さいと言われ、鼻水と涙でグチュグチュになりながら腹を裂いて臓物を取り出しました。フワッと湯気が立ち上り、おなかに手を入れて臓物を取り出しますが、その体温の高さと柔らかさ、今までちゃんと生きていた鹿をこの私が殺してしまったということに本当に申し訳ないと。本当にショックでした。 でもこのことを経験したからこそ、命の大事さ、人間が生きていくうえで多くの命の元をいただいているのだという実感、そして感謝が芽生えました。 また昨年亡くなられたCW二コル三との出会いも大きかったです。彼とは20年くらい前にお目にかかっていました。日本人の女性で鹿撃ちをした人に会ったのは初めてだったようです。それで鹿の食文化を日本にちゃんと根つかせたいって思っていた二コルさんは渡邊に鹿の解体書を贈ってくれました。   これらの経験が今の森から海への財団を立ち上げる大きな原体験としてエネルギーになったと思います。   それから何年もたって今の評議員の南正人先生とのであい、そして理事の池田雅子さんとの出会い。日本の鹿の森へのインパクトの大きさを教えてくれました。 本当にすごい被害を目の前にして、これを何とかしなきゃ、この森が死んでしまうんだ。 この森は22世紀までは持たない。行政は何をしているの?自治体は?環境省は?そんな疑問からいろいろと活動をしながら、渡邊も具体的に行動をしなければとの思いで鹿肉を使ったペットフードを作ることになりました。      

ちっちゃな“神様”が遺してくれたもの #2

ちっちゃな“神様”が遺してくれたもの #2

愛しのMONの命の灯が消えつつあるとき、途方にくれるわたしにずっと寄り添ってくれたのが、ニューヨークに住む友人である。 日曜日の深夜に日本に住む友だちを起こすのは気が引けたが、ニューヨークなら週末の昼間。思い切って電話をすると、我がことのように心配してくれた。彼女もたいへんな愛犬家で3匹のヨーキー(ヨークシャーテリア)を飼っていた。 「いつでも電話して! こっちが夜中の時間でもいいから」 そんな言葉がどれだけ心強かったことだろう。   翌日の朝、MONはわたしの眼をじっと見つめながら旅立った。長い間、片時も目をそらさず、何かを語りかけるように……。最後はとても安らかなやさしい表情をしていた。少なくとも、わたしにはそう感じた。   ニューヨークに電話をして、MONが亡くなったと涙ながらに報告すると、彼女もいっしょに泣いてくれた。彼女のヨーキーたちも、事情を察して、悲しんでくれているという。   寝たきりにもならず、前日まで自分の足で立って……。迷惑をかけない、ほんとうに親孝行なコだったわね。偉かったわ。あなたを心配させたくなかったのよ。それに、ママの仕事が一段落ついた頃を見計らって逝くなんて……。ぜ~んぶ、ちゃんとわかってたのよ。で、死ぬ日も自分で決めて。犬って、ほんとにすごいわね。あのコたちは、ほんとうにお利口さんよ。   そんな彼女の言葉を聞きながら、子どものように嗚咽した。 ほんとうにそうだと思った。   犬を飼ったことのない人、犬のことをあまり知らない人からすれば、「何をおおげさに言っているんだ。犬が死ぬ日を決める? そんなのは人間の勝手な思い込みだろう」とバカにするかもしれない。ペットが死んだくらいで大騒ぎするなんて、どうかしていると。 だが、わかる人にはわかる。それでいいではないか。   何らかの意味があって、MONはわたしの元にやって来た。 その役目を果たし、DOGの姿をしたGODは空に還っていったのだ。 とても賢く、気高く、人見知りで、甘えん坊の美しいコ。 ありがとう、ほんとうにありがとう。あなたがいてくれて、わたしは幸せだったよ。  

ちっちゃな“神様”が遺してくれたもの #2

愛しのMONの命の灯が消えつつあるとき、途方にくれるわたしにずっと寄り添ってくれたのが、ニューヨークに住む友人である。 日曜日の深夜に日本に住む友だちを起こすのは気が引けたが、ニューヨークなら週末の昼間。思い切って電話をすると、我がことのように心配してくれた。彼女もたいへんな愛犬家で3匹のヨーキー(ヨークシャーテリア)を飼っていた。 「いつでも電話して! こっちが夜中の時間でもいいから」 そんな言葉がどれだけ心強かったことだろう。   翌日の朝、MONはわたしの眼をじっと見つめながら旅立った。長い間、片時も目をそらさず、何かを語りかけるように……。最後はとても安らかなやさしい表情をしていた。少なくとも、わたしにはそう感じた。   ニューヨークに電話をして、MONが亡くなったと涙ながらに報告すると、彼女もいっしょに泣いてくれた。彼女のヨーキーたちも、事情を察して、悲しんでくれているという。   寝たきりにもならず、前日まで自分の足で立って……。迷惑をかけない、ほんとうに親孝行なコだったわね。偉かったわ。あなたを心配させたくなかったのよ。それに、ママの仕事が一段落ついた頃を見計らって逝くなんて……。ぜ~んぶ、ちゃんとわかってたのよ。で、死ぬ日も自分で決めて。犬って、ほんとにすごいわね。あのコたちは、ほんとうにお利口さんよ。   そんな彼女の言葉を聞きながら、子どものように嗚咽した。 ほんとうにそうだと思った。   犬を飼ったことのない人、犬のことをあまり知らない人からすれば、「何をおおげさに言っているんだ。犬が死ぬ日を決める? そんなのは人間の勝手な思い込みだろう」とバカにするかもしれない。ペットが死んだくらいで大騒ぎするなんて、どうかしていると。 だが、わかる人にはわかる。それでいいではないか。   何らかの意味があって、MONはわたしの元にやって来た。 その役目を果たし、DOGの姿をしたGODは空に還っていったのだ。 とても賢く、気高く、人見知りで、甘えん坊の美しいコ。 ありがとう、ほんとうにありがとう。あなたがいてくれて、わたしは幸せだったよ。  

ちっちゃな“神様”が遺してくれたもの #1

ちっちゃな“神様”が遺してくれたもの #1

10歳の頃から、犬と暮らしてきた。 犬たちは、ほんとうにたくさんのものをわたしにくれた。 抱えきれないほどの愛情。まっすぐな信頼。このうえない幸福……。 美しい毛並みを撫でるだけで、あたたかいからだを抱きしめるだけで、心が落ち着き、笑みがこぼれる。   犬と暮らす日々は“発見”の連続でもある。その賢さ。その健気さ。そして、人間にはとてもマネできない、掛け値なしの「無償の愛」――犬という存在の尊さに感嘆すると同時に、人間の愚かさに気づかされる。   DOGを逆から読むとGOD。 犬はやはり“神様”なのだと思う。   3匹目の飼い犬となるロングコート・チワワのMONを亡くしてからの1年半、まさに茫然自失の日々を送ってきた。 前の2匹は実家で飼っていた犬だったが、MONは違う。ひとりで暮らす私を15年以上にわたって支えてくれた、かけがえのないパートナー。その最愛の家族を、突然、失ったのである。 もちろん、遠からず別れは来ると覚悟していた。だが、前日までいつもと変わらぬ様子でごはんを食べ、老犬らしい穏やかな日常を過ごしていたのだ……。心の準備なんて、まったくできていなかった。   あのコは旅立ってから今日までの記憶はあいまいだ。 ほぼ同時期に始まったコロナ禍のなか、ガランとした部屋でどうやって毎日をやり過ごしたのか。どれだけ泣いても涙が枯れない。   STAY HOME――世の中を覆うこの言葉がむなしく響く。 なぜなら、わたしのHOMEには、大切な家族がもういないから。   このブログでは、MONと出会ってからの思い出のあれこれを綴ってみようと思う。 ちっちゃな“神様”がわたしにくれた宝物を忘れないために。  

ちっちゃな“神様”が遺してくれたもの #1

10歳の頃から、犬と暮らしてきた。 犬たちは、ほんとうにたくさんのものをわたしにくれた。 抱えきれないほどの愛情。まっすぐな信頼。このうえない幸福……。 美しい毛並みを撫でるだけで、あたたかいからだを抱きしめるだけで、心が落ち着き、笑みがこぼれる。   犬と暮らす日々は“発見”の連続でもある。その賢さ。その健気さ。そして、人間にはとてもマネできない、掛け値なしの「無償の愛」――犬という存在の尊さに感嘆すると同時に、人間の愚かさに気づかされる。   DOGを逆から読むとGOD。 犬はやはり“神様”なのだと思う。   3匹目の飼い犬となるロングコート・チワワのMONを亡くしてからの1年半、まさに茫然自失の日々を送ってきた。 前の2匹は実家で飼っていた犬だったが、MONは違う。ひとりで暮らす私を15年以上にわたって支えてくれた、かけがえのないパートナー。その最愛の家族を、突然、失ったのである。 もちろん、遠からず別れは来ると覚悟していた。だが、前日までいつもと変わらぬ様子でごはんを食べ、老犬らしい穏やかな日常を過ごしていたのだ……。心の準備なんて、まったくできていなかった。   あのコは旅立ってから今日までの記憶はあいまいだ。 ほぼ同時期に始まったコロナ禍のなか、ガランとした部屋でどうやって毎日をやり過ごしたのか。どれだけ泣いても涙が枯れない。   STAY HOME――世の中を覆うこの言葉がむなしく響く。 なぜなら、わたしのHOMEには、大切な家族がもういないから。   このブログでは、MONと出会ってからの思い出のあれこれを綴ってみようと思う。 ちっちゃな“神様”がわたしにくれた宝物を忘れないために。  

ボブがレオになった日

ボブがレオになった日

ボブ(チワワ)の元飼い主は若いシングルマザーでペットを飼育不可の団地に5年程ケージに入れっぱなしで飼育していた。 犬を飼っている事が管理人に知られてしまったら、その団地を出ていかなければならない。最悪の場合は保健所行きになってしまうとそのボブの飼い主の親しい方から私の友人に何とかしてあげてほしいと相談があった。 私の友人はボブを迎える余裕がなく様々な事情で難しく悩んでいたところ、ある団体の代表者が『応援するから助けてあげなさい』と私の友人に手を差し伸べてくれた。 ボブを元飼い主から引き渡してもらうまで大変で手放すまで数ヶ月を要した。 ボブは保護するまでお腹に5センチ位のできもののようなものがぶら下がっている状況で、その処置さえなされて無かった。 ちょうど私の姉が小型犬で保護犬を探していた。その時、偶然にも友人がFacebookでボブの里親募集を投稿していた。 それから直ぐに私の姉が譲渡することに決まり私が福岡までボブを新幹線で連れて行くことになった。内心、新幹線の中で吠えてしまったらと心配したがボブはとっても頭の良い子でペットバックの中で大人しく静かで居てくれた。 知人家に着くや否や長い間この家の家族だったのかと思うくらい家中を走り回り姉や義兄、甥にも元気に明るく人懐こいボブであった。 りんごが大好きで、お散歩の時間になるとリードを咥えて持ってくる。お散歩から帰ってくると足を洗わないとお部屋に入らない。お留守番だよと言うとひとりで静かにソファでおねんねする。お出かけ出来るとわかると玄関で待っている。玄関のチャイムが鳴る1回だけワンと吠えて教えに来る。     しっかり者で賢いレオは最近は姉の家族の長男になり甥が次男になった。そして最近はお散歩で逢う可愛らしい女の子がお気に入りになった。ガールフレンドのラブちゃん! ボブからレオちゃんになった。今レオちゃんは優しい家族に囲まれ毎日、幸せいっぱいに暮らしている。

ボブがレオになった日

ボブ(チワワ)の元飼い主は若いシングルマザーでペットを飼育不可の団地に5年程ケージに入れっぱなしで飼育していた。 犬を飼っている事が管理人に知られてしまったら、その団地を出ていかなければならない。最悪の場合は保健所行きになってしまうとそのボブの飼い主の親しい方から私の友人に何とかしてあげてほしいと相談があった。 私の友人はボブを迎える余裕がなく様々な事情で難しく悩んでいたところ、ある団体の代表者が『応援するから助けてあげなさい』と私の友人に手を差し伸べてくれた。 ボブを元飼い主から引き渡してもらうまで大変で手放すまで数ヶ月を要した。 ボブは保護するまでお腹に5センチ位のできもののようなものがぶら下がっている状況で、その処置さえなされて無かった。 ちょうど私の姉が小型犬で保護犬を探していた。その時、偶然にも友人がFacebookでボブの里親募集を投稿していた。 それから直ぐに私の姉が譲渡することに決まり私が福岡までボブを新幹線で連れて行くことになった。内心、新幹線の中で吠えてしまったらと心配したがボブはとっても頭の良い子でペットバックの中で大人しく静かで居てくれた。 知人家に着くや否や長い間この家の家族だったのかと思うくらい家中を走り回り姉や義兄、甥にも元気に明るく人懐こいボブであった。 りんごが大好きで、お散歩の時間になるとリードを咥えて持ってくる。お散歩から帰ってくると足を洗わないとお部屋に入らない。お留守番だよと言うとひとりで静かにソファでおねんねする。お出かけ出来るとわかると玄関で待っている。玄関のチャイムが鳴る1回だけワンと吠えて教えに来る。     しっかり者で賢いレオは最近は姉の家族の長男になり甥が次男になった。そして最近はお散歩で逢う可愛らしい女の子がお気に入りになった。ガールフレンドのラブちゃん! ボブからレオちゃんになった。今レオちゃんは優しい家族に囲まれ毎日、幸せいっぱいに暮らしている。

シカの食べ物 - Dr.南の生きものがたり

シカの食べ物 - Dr.南の生きものがたり

カモシカはなわばりをもっていて、1年中そのなわばりを守って生きています。カモシカは、自分の食料資源を守るためになわばりをもっていると考えられています。カモシカにとっては、一生をそこで過ごすので、資源を荒らされると生きて行けないのです。しかし、シカは食料資源を守るためのなわばりをもっていません。オスの一部は秋になると、メスを獲得するためになわばりをもつ場合がありますが、発情が終わるとなわばりはなくなります。シカは、生活している場所の食料が減ってしまうと、食料のある場所まで遠征したり、移動してしまったりします。宮城県の金華山という小さな島にはシカが600頭位棲んでいるのですが、食料が厳しくなっても海を渡って島をでるシカはほとんどいません。シカはこの島の中で生きてゆかなくてはなりません。シカがよく食べる植物は食べ尽くされてしまいます。そうすると、シカは別の植物を食べなくてはなりません。今度は、その植物を食べ尽くすことになります。生長の速い植物は回復することもありますが、そうでない植物は島から消えてゆきます。それが続くと、シカはこれまでは食べなかった苦い植物や棘のある植物も食べざるを得なくなります。背に腹は代えられないということです。15年位前にはシカに食べられずに島にたくさん生えていたハンゴンソウという植物は、今ではほとんど見られなくなりました。シカは自ら食環境を変化させながら生きているのです。

シカの食べ物 - Dr.南の生きものがたり

カモシカはなわばりをもっていて、1年中そのなわばりを守って生きています。カモシカは、自分の食料資源を守るためになわばりをもっていると考えられています。カモシカにとっては、一生をそこで過ごすので、資源を荒らされると生きて行けないのです。しかし、シカは食料資源を守るためのなわばりをもっていません。オスの一部は秋になると、メスを獲得するためになわばりをもつ場合がありますが、発情が終わるとなわばりはなくなります。シカは、生活している場所の食料が減ってしまうと、食料のある場所まで遠征したり、移動してしまったりします。宮城県の金華山という小さな島にはシカが600頭位棲んでいるのですが、食料が厳しくなっても海を渡って島をでるシカはほとんどいません。シカはこの島の中で生きてゆかなくてはなりません。シカがよく食べる植物は食べ尽くされてしまいます。そうすると、シカは別の植物を食べなくてはなりません。今度は、その植物を食べ尽くすことになります。生長の速い植物は回復することもありますが、そうでない植物は島から消えてゆきます。それが続くと、シカはこれまでは食べなかった苦い植物や棘のある植物も食べざるを得なくなります。背に腹は代えられないということです。15年位前にはシカに食べられずに島にたくさん生えていたハンゴンソウという植物は、今ではほとんど見られなくなりました。シカは自ら食環境を変化させながら生きているのです。