森海コラム
カッコウ 子育てをめぐる軍拡競争
カッコウといえば、他の鳥に卵を預けて育ててもらうことで有名です。カッコウは、ホオジロなどの親鳥が卵を産み終わると、親鳥の留守中に、卵を1個だけ産み落とします。この卵の色と模様は卵を託された親鳥(以下、宿主)の卵そっくりです。カッコウは、時には数を合わせるために、宿主の卵を1個持ち去ります。カッコウに托卵された宿主は、それとは知らずに卵を抱いて温めます。カッコウの雛は宿主の卵より短い期間である10日から12日で孵り、まだ雛が孵っていない宿主の卵や先に孵った雛を自分の背中で押して巣から落とします。もちろん宿主の卵や雛は死んでしまいます。時には、宿主の雛が先に孵って大きく成長してしまっていることがあるらしく、その場合はカッコウの雛が宿主の雛を押し出すことができずに一緒に育って行くこともあるそうです。そして、宿主は自分の子供を捨てたカッコウの雛を懸命に育て上げるのです。 カッコウが托卵する鳥は、ホオジロの他にオオヨシキリやモズなどが知られています。これらの鳥の卵の模様はそれぞれ異なっています。卵の殻のベースの色が異なっていたり、模様が異なっていたりするのです。不思議なことに、カッコウの卵の色や模様は自分が托卵する鳥の卵に似ているのです。どうやら宿主の卵に合わせた色や模様の卵を産むのではなく、自分が産める色や模様の卵と似た卵の宿主を選んでいるのではないかといわれています。 しかし、宿主も騙されているばかりではありません。これらの鳥の中には、カッコウに托卵されると、卵の細かな模様の違いを見つけてカッコウの卵を捨てたり、巣を放棄したりする行動を取るようになった個体が現れるようになりました。初めは騙されていたのですが、長い年月の末、托卵をある程度見分ける対抗手段を発達させてきたのです。 鳥類の研究者・中村浩志先生の研究によると、1970年頃にカッコウは新しい托卵先を見つけたそうです。カッコウは分布を広げてきたオナガと出会ったのです。オナガはカッコウに托卵されたことがないので、対抗手段を持っていませんでした。カッコウの多くは托卵先をオナガに代えたようです。しかし、カッコウは当初は新しく托卵を始めたオナガの卵と似た色や模様の卵を産んでいませんでした。それでも、オナガはカッコウに托卵されたことがなかったので、卵を見分けることも捨てることもなかったので、カッコウの托卵は成功したのです。 しかし、やがて、オナガはカッコウの托卵に気づきます。自分の卵に似ていない卵を見分けて、卵を捨てたり、巣を放棄したりするなどの対抗手段を確立し始めました。そうすると、カッコウの中でも、オナガの卵に似ていない卵を産むカッコウは子供を残すことができずに滅んで行きました。一方で、オナガの卵に似ている卵を産むカッコウは生き残りました。そうすると、今度はオナガの中で、もっと正確に卵を見分けることができる個体が子供を残し、それができないオナガは子供を残せなくなって行くのです。つまり、カッコウではオナガの卵に似た卵を産む個体が生き残り、オナガではカッコウの托卵を見抜ける個体が生き残るようになるのです。騙せるか、見抜けるかの軍拡競争です。 カッコウが他の鳥に托卵するようになった過程は明確ではなく、いろいろな説があります。しかし、一旦托卵が生じると、このように托卵する側と托卵される宿主の間で、生き残りをかけた軍拡競争が進んで行くのです。 日本にはカッコウの仲間が4種類やってきます。カッコウ、ホトトギス、ツツドリ、ジュイチです。いずれも夏鳥で、夏に日本に渡ってきます。姿を見る機会は多くないと思いますが、どの鳥も鳴き声が特徴的です。カッコウは「カッコウ」と鳴きますが、ホトトギスは「テッペンカケタカ」を繰り返し、最後に「ホトトギス」と呟くような声を出します。ツツドリは、「ボボ・ボボ・ボボ」と筒を打つように、ジュウイチは「ジュウイチ!!」と鳴きます。野山でこれらの鳴き声を聞いた時は、この托卵をめぐる鳥たちの駆け引きを思い出していただけたらと思います。 南 正人:理学博士。麻布大学特命教授。軽井沢で15年間自然ガイド業を行った後、麻布大学で13年間教鞭をとる。宮城県の離島・金華山でシカの研究を35年間続けている。 「森から海へ」評議員、NPO法人生物多様性研究所あーすわーむ代表理事。
カッコウ 子育てをめぐる軍拡競争
カッコウといえば、他の鳥に卵を預けて育ててもらうことで有名です。カッコウは、ホオジロなどの親鳥が卵を産み終わると、親鳥の留守中に、卵を1個だけ産み落とします。この卵の色と模様は卵を託された親鳥(以下、宿主)の卵そっくりです。カッコウは、時には数を合わせるために、宿主の卵を1個持ち去ります。カッコウに托卵された宿主は、それとは知らずに卵を抱いて温めます。カッコウの雛は宿主の卵より短い期間である10日から12日で孵り、まだ雛が孵っていない宿主の卵や先に孵った雛を自分の背中で押して巣から落とします。もちろん宿主の卵や雛は死んでしまいます。時には、宿主の雛が先に孵って大きく成長してしまっていることがあるらしく、その場合はカッコウの雛が宿主の雛を押し出すことができずに一緒に育って行くこともあるそうです。そして、宿主は自分の子供を捨てたカッコウの雛を懸命に育て上げるのです。 カッコウが托卵する鳥は、ホオジロの他にオオヨシキリやモズなどが知られています。これらの鳥の卵の模様はそれぞれ異なっています。卵の殻のベースの色が異なっていたり、模様が異なっていたりするのです。不思議なことに、カッコウの卵の色や模様は自分が托卵する鳥の卵に似ているのです。どうやら宿主の卵に合わせた色や模様の卵を産むのではなく、自分が産める色や模様の卵と似た卵の宿主を選んでいるのではないかといわれています。 しかし、宿主も騙されているばかりではありません。これらの鳥の中には、カッコウに托卵されると、卵の細かな模様の違いを見つけてカッコウの卵を捨てたり、巣を放棄したりする行動を取るようになった個体が現れるようになりました。初めは騙されていたのですが、長い年月の末、托卵をある程度見分ける対抗手段を発達させてきたのです。 鳥類の研究者・中村浩志先生の研究によると、1970年頃にカッコウは新しい托卵先を見つけたそうです。カッコウは分布を広げてきたオナガと出会ったのです。オナガはカッコウに托卵されたことがないので、対抗手段を持っていませんでした。カッコウの多くは托卵先をオナガに代えたようです。しかし、カッコウは当初は新しく托卵を始めたオナガの卵と似た色や模様の卵を産んでいませんでした。それでも、オナガはカッコウに托卵されたことがなかったので、卵を見分けることも捨てることもなかったので、カッコウの托卵は成功したのです。 しかし、やがて、オナガはカッコウの托卵に気づきます。自分の卵に似ていない卵を見分けて、卵を捨てたり、巣を放棄したりするなどの対抗手段を確立し始めました。そうすると、カッコウの中でも、オナガの卵に似ていない卵を産むカッコウは子供を残すことができずに滅んで行きました。一方で、オナガの卵に似ている卵を産むカッコウは生き残りました。そうすると、今度はオナガの中で、もっと正確に卵を見分けることができる個体が子供を残し、それができないオナガは子供を残せなくなって行くのです。つまり、カッコウではオナガの卵に似た卵を産む個体が生き残り、オナガではカッコウの托卵を見抜ける個体が生き残るようになるのです。騙せるか、見抜けるかの軍拡競争です。 カッコウが他の鳥に托卵するようになった過程は明確ではなく、いろいろな説があります。しかし、一旦托卵が生じると、このように托卵する側と托卵される宿主の間で、生き残りをかけた軍拡競争が進んで行くのです。 日本にはカッコウの仲間が4種類やってきます。カッコウ、ホトトギス、ツツドリ、ジュイチです。いずれも夏鳥で、夏に日本に渡ってきます。姿を見る機会は多くないと思いますが、どの鳥も鳴き声が特徴的です。カッコウは「カッコウ」と鳴きますが、ホトトギスは「テッペンカケタカ」を繰り返し、最後に「ホトトギス」と呟くような声を出します。ツツドリは、「ボボ・ボボ・ボボ」と筒を打つように、ジュウイチは「ジュウイチ!!」と鳴きます。野山でこれらの鳴き声を聞いた時は、この托卵をめぐる鳥たちの駆け引きを思い出していただけたらと思います。 南 正人:理学博士。麻布大学特命教授。軽井沢で15年間自然ガイド業を行った後、麻布大学で13年間教鞭をとる。宮城県の離島・金華山でシカの研究を35年間続けている。 「森から海へ」評議員、NPO法人生物多様性研究所あーすわーむ代表理事。
牧場に出没するシカ
近年シカが分布域を広げ、数も増えていることが大きな問題になっています。これらの写真は、ある牧場に出没するシカを撮影したものです。この牧場では、春から晩秋までウシを放牧し、冬は畜舎で干し草やサイレージを与えて育てています。サイレージというのは、牧草などを発酵させた飼料です。一般に牧草は、繊維質に富むイネ科植物やタンパク質やカルシウムを多く含むマメ科植物が中心です。長い畜産の歴史の中で、ウシの成長や肥育、さらには肉質・乳質・乳量に適した草種が選抜され、それぞれの地域の気候にあったものが育てられています。 シカはシカ科に属する動物ですが、ウシ(ウシ科)と比較的近縁で、いずれも反芻動物として草や木の葉などの植物質を主に摂食します。ウシにとって牧草が好適な飼料であるように、シカにとっても牧草は魅力的な食物です。牧草は栄養価が高いだけでなく、群生しているため採食効率が高く、広く探し回る必要がありません。さらに、牧場は春から晩秋まで常に牧草が利用できるように管理されているため、シカにとっては安定的に食料を得られる環境となっています。冬から春にかけて牧草の生育が不十分な時期であっても、越冬性牧草の株元や、日当たりの良い場所に生育する他の植物が利用可能であり、これらもシカにとって重要な食料となります。 このように牧場はシカにとって好適な採食場所なのです。しかし、牧場にとっては、ウシのために育てている牧草をシカに食べられてはたまりません。牧草が不足してしまえば、飼料を購入してウシに与える必要も出かねません。シカを牧場に入れないようになんとかしなくてはなりません。ところが、これがなかなか難しいのです。ウシは長い間飼育されてきた動物ですから、放牧地の周りが有刺鉄線で囲われると、それを突破して出てゆくことはあまりありません。しかし、シカはウシよりも小型で敏捷ですから、隙間を探して入り込みます。ジャンプ力もありますので、有刺鉄線が低くなっているところを飛び越えます。電気柵は触ると高圧電流が流れて痛みを感じさせる柵で、きちんと設置するとシカの侵入を防げます。しかし、広大な牧草地に設置するには大きな予算がかかります。電気柵は草などが触ったり、一部でも倒れて地面に接したりすると、漏電して効果が下がってしまいます。メンテナンスが大変で、維持管理にも労力と費用がかかります。牧草地にシカを入れないというのはなかなか難しいのです。 牧場はシカから大きな被害を受けているのですが、見方を変えると、牧場はシカを増やしているともいえるのです。春先には牧草が爆発的に成長し、栄養価の高い若草が大量に生えるので「スプリング・フラッシュ」といわれるのですが、それはシカにとっても好適な食料となります。その後も晩秋まで牧草は安定してあり、シカは良い栄養状態を維持します。その結果、シカの出産率は高止まりし、死亡率は下がり、シカの数は増加します。充分な栄養状態を確保したシカは厳しい冬も乗り越えることが可能になるのです。 これは大変難しいことですが、牧場がシカをそのままにしておくと、その地域のシカが増加し、農作物など他にも影響を与えてしまう可能性を高めるのです。現状では、電気柵でできるだけ牧草地を守りながら、牧場でシカの捕獲を行い、シカに「牧場は危険な場所である」と学習させるしかないのかもしれません。私たちは、安くて美味しい牛乳をいただき、良質な牛肉をいただいていますが、牧場の維持と乳牛や肉牛の飼育には野生動物とどのように付き合うのかという大きな問題があることを認識しなくてはなりません。こうした現状を理解し、社会全体で牧場を支えていく必要があるでしょう。 南 正人:理学博士。麻布大学特命教授。軽井沢で15年間自然ガイド業を行った後、麻布大学で13年間教鞭をとる。宮城県の離島・金華山でシカの研究を35年間続けている。 「森から海へ」評議員、NPO法人生物多様性研究所あーすわーむ代表理事。
牧場に出没するシカ
近年シカが分布域を広げ、数も増えていることが大きな問題になっています。これらの写真は、ある牧場に出没するシカを撮影したものです。この牧場では、春から晩秋までウシを放牧し、冬は畜舎で干し草やサイレージを与えて育てています。サイレージというのは、牧草などを発酵させた飼料です。一般に牧草は、繊維質に富むイネ科植物やタンパク質やカルシウムを多く含むマメ科植物が中心です。長い畜産の歴史の中で、ウシの成長や肥育、さらには肉質・乳質・乳量に適した草種が選抜され、それぞれの地域の気候にあったものが育てられています。 シカはシカ科に属する動物ですが、ウシ(ウシ科)と比較的近縁で、いずれも反芻動物として草や木の葉などの植物質を主に摂食します。ウシにとって牧草が好適な飼料であるように、シカにとっても牧草は魅力的な食物です。牧草は栄養価が高いだけでなく、群生しているため採食効率が高く、広く探し回る必要がありません。さらに、牧場は春から晩秋まで常に牧草が利用できるように管理されているため、シカにとっては安定的に食料を得られる環境となっています。冬から春にかけて牧草の生育が不十分な時期であっても、越冬性牧草の株元や、日当たりの良い場所に生育する他の植物が利用可能であり、これらもシカにとって重要な食料となります。 このように牧場はシカにとって好適な採食場所なのです。しかし、牧場にとっては、ウシのために育てている牧草をシカに食べられてはたまりません。牧草が不足してしまえば、飼料を購入してウシに与える必要も出かねません。シカを牧場に入れないようになんとかしなくてはなりません。ところが、これがなかなか難しいのです。ウシは長い間飼育されてきた動物ですから、放牧地の周りが有刺鉄線で囲われると、それを突破して出てゆくことはあまりありません。しかし、シカはウシよりも小型で敏捷ですから、隙間を探して入り込みます。ジャンプ力もありますので、有刺鉄線が低くなっているところを飛び越えます。電気柵は触ると高圧電流が流れて痛みを感じさせる柵で、きちんと設置するとシカの侵入を防げます。しかし、広大な牧草地に設置するには大きな予算がかかります。電気柵は草などが触ったり、一部でも倒れて地面に接したりすると、漏電して効果が下がってしまいます。メンテナンスが大変で、維持管理にも労力と費用がかかります。牧草地にシカを入れないというのはなかなか難しいのです。 牧場はシカから大きな被害を受けているのですが、見方を変えると、牧場はシカを増やしているともいえるのです。春先には牧草が爆発的に成長し、栄養価の高い若草が大量に生えるので「スプリング・フラッシュ」といわれるのですが、それはシカにとっても好適な食料となります。その後も晩秋まで牧草は安定してあり、シカは良い栄養状態を維持します。その結果、シカの出産率は高止まりし、死亡率は下がり、シカの数は増加します。充分な栄養状態を確保したシカは厳しい冬も乗り越えることが可能になるのです。 これは大変難しいことですが、牧場がシカをそのままにしておくと、その地域のシカが増加し、農作物など他にも影響を与えてしまう可能性を高めるのです。現状では、電気柵でできるだけ牧草地を守りながら、牧場でシカの捕獲を行い、シカに「牧場は危険な場所である」と学習させるしかないのかもしれません。私たちは、安くて美味しい牛乳をいただき、良質な牛肉をいただいていますが、牧場の維持と乳牛や肉牛の飼育には野生動物とどのように付き合うのかという大きな問題があることを認識しなくてはなりません。こうした現状を理解し、社会全体で牧場を支えていく必要があるでしょう。 南 正人:理学博士。麻布大学特命教授。軽井沢で15年間自然ガイド業を行った後、麻布大学で13年間教鞭をとる。宮城県の離島・金華山でシカの研究を35年間続けている。 「森から海へ」評議員、NPO法人生物多様性研究所あーすわーむ代表理事。
美味しいイノシシの秘密
3月のある日、神奈川県のハンターが獲ったとシカ肉とイノシシ肉を食べました。ハンターお勧めのしゃぶしゃぶです(写真の白い脂の肉がイノシシ肉、赤身がシカ肉)。イノシシ肉は脂で真っ白で、シカ肉は赤い肉でタンパク質が多いためにしっかりした肉の味なのですが、イノシシはこの脂が甘くてとても美味しいのです。 野生の獣の肉であるジビエの肉の質は、さまざまな要因で決まります。その個体の年齢や性別で肉の柔らかさや脂ののりが異なります。季節によっても脂ののり方は異なります。また、発情しているオスは強い臭気があります。捕獲する際にストレスを与えると、ストレスに関係するホルモンが分泌されて、肉の味を落とすといわれています。そして、非常に重要なのは、捕獲した後の処理です。死後できるだけ早い段階で充分に血抜きをすることで、生臭い匂いを防ぎ、味を落とさずに加工することができます。もちろん、内臓を傷つけないように、取り出してしまうことも重要です。内臓を傷つけてしまうと、衛生的にも良くないですが、肉に嫌な匂いをつけてしまうことになります。このような処理を素早く的確に行なった獣肉は美味しく食べることができます。もちろんイノシシも例外ではありません。 山梨で長くイノシシを獲っているハンターの話では、イノシシは年によって味がかなり異なるというのです。猟期の始まる冬にイノシシを数頭獲ってみて、その年の味をみるのだそうです。ドングリの豊作の秋を過ごした冬のイノシシは美味しいけれど、ドングリの不作の秋を過ごしたイノシシは不味いというのです。イノシシはドングリの不作の年には、サワガニなどを探して食べているので「生臭い」とのことでした。たしかに、イベリコ豚にドングリを与えて育てたベジョータ(スペイン語でドングリの意味)と呼ばれる豚はとても美味しいと評判ですから、頷ける話ではあります。そこで、少し調べてみると、イノシシの肉質は、脂肪酸組成に大きく依存し、オレイン酸が多い場合には、脂肪の融点が低く口溶けが良くなり、甘味やコクが強く感じられるそうです。ドングリにはオレイン酸が少し多めに含まれているそうですが、それが肉質に反映するのでしょう。 もう一つ興味深いことがあります。ドングリを食べていたイノシシは美味しいけれど、サワガニを食べていたイノシシは味が落ちることを書きました。実は、このことは、イノシシがなんでも食べる雑食性であることにも関係しますが、イノシシが反芻をしないこととも関係するのです。ウシやシカ、ヒツジやヤギは、反芻をする動物です。彼らは、イノシシよりも草食性が強い動物で、4つに分かれた胃で微生物の助けを借りて草を消化しています。おびただしい種類の、そして大量の微生物によって、哺乳類には分解できないセルロースを分解して栄養として取り出すのです。ですから、食べた植物が異なっていても、これらの微生物によって栄養を取り出すことができるのです。たぶん、それぞれの植物によって異なった微生物が増えながら、分解するものと思われます。そうすると、食べた食物の種類が肉質に直接影響することが少ないのです。しかし、イノシシは反芻をしませんから、食べたものが肉質に影響しやすく、食物の脂質組成が体脂肪にそのまま反映されやすいのです。ドングリを食べていたか、サワガニなどを食べていたか、それによって肉質に影響が出るものと思われます。 ドングリの実をつける広葉樹は豊かな森の象徴でもあります。森の恵みとしてイノシシの命をいただく時は、豊かな森にも思いを馳せながら、いただきたいと思います。 南 正人:理学博士。麻布大学特命教授。軽井沢で15年間自然ガイド業を行った後、麻布大学で13年間教鞭をとる。宮城県の離島・金華山でシカの研究を35年間続けている。 「森から海へ」評議員、NPO法人生物多様性研究所あーすわーむ代表理事。
美味しいイノシシの秘密
3月のある日、神奈川県のハンターが獲ったとシカ肉とイノシシ肉を食べました。ハンターお勧めのしゃぶしゃぶです(写真の白い脂の肉がイノシシ肉、赤身がシカ肉)。イノシシ肉は脂で真っ白で、シカ肉は赤い肉でタンパク質が多いためにしっかりした肉の味なのですが、イノシシはこの脂が甘くてとても美味しいのです。 野生の獣の肉であるジビエの肉の質は、さまざまな要因で決まります。その個体の年齢や性別で肉の柔らかさや脂ののりが異なります。季節によっても脂ののり方は異なります。また、発情しているオスは強い臭気があります。捕獲する際にストレスを与えると、ストレスに関係するホルモンが分泌されて、肉の味を落とすといわれています。そして、非常に重要なのは、捕獲した後の処理です。死後できるだけ早い段階で充分に血抜きをすることで、生臭い匂いを防ぎ、味を落とさずに加工することができます。もちろん、内臓を傷つけないように、取り出してしまうことも重要です。内臓を傷つけてしまうと、衛生的にも良くないですが、肉に嫌な匂いをつけてしまうことになります。このような処理を素早く的確に行なった獣肉は美味しく食べることができます。もちろんイノシシも例外ではありません。 山梨で長くイノシシを獲っているハンターの話では、イノシシは年によって味がかなり異なるというのです。猟期の始まる冬にイノシシを数頭獲ってみて、その年の味をみるのだそうです。ドングリの豊作の秋を過ごした冬のイノシシは美味しいけれど、ドングリの不作の秋を過ごしたイノシシは不味いというのです。イノシシはドングリの不作の年には、サワガニなどを探して食べているので「生臭い」とのことでした。たしかに、イベリコ豚にドングリを与えて育てたベジョータ(スペイン語でドングリの意味)と呼ばれる豚はとても美味しいと評判ですから、頷ける話ではあります。そこで、少し調べてみると、イノシシの肉質は、脂肪酸組成に大きく依存し、オレイン酸が多い場合には、脂肪の融点が低く口溶けが良くなり、甘味やコクが強く感じられるそうです。ドングリにはオレイン酸が少し多めに含まれているそうですが、それが肉質に反映するのでしょう。 もう一つ興味深いことがあります。ドングリを食べていたイノシシは美味しいけれど、サワガニを食べていたイノシシは味が落ちることを書きました。実は、このことは、イノシシがなんでも食べる雑食性であることにも関係しますが、イノシシが反芻をしないこととも関係するのです。ウシやシカ、ヒツジやヤギは、反芻をする動物です。彼らは、イノシシよりも草食性が強い動物で、4つに分かれた胃で微生物の助けを借りて草を消化しています。おびただしい種類の、そして大量の微生物によって、哺乳類には分解できないセルロースを分解して栄養として取り出すのです。ですから、食べた植物が異なっていても、これらの微生物によって栄養を取り出すことができるのです。たぶん、それぞれの植物によって異なった微生物が増えながら、分解するものと思われます。そうすると、食べた食物の種類が肉質に直接影響することが少ないのです。しかし、イノシシは反芻をしませんから、食べたものが肉質に影響しやすく、食物の脂質組成が体脂肪にそのまま反映されやすいのです。ドングリを食べていたか、サワガニなどを食べていたか、それによって肉質に影響が出るものと思われます。 ドングリの実をつける広葉樹は豊かな森の象徴でもあります。森の恵みとしてイノシシの命をいただく時は、豊かな森にも思いを馳せながら、いただきたいと思います。 南 正人:理学博士。麻布大学特命教授。軽井沢で15年間自然ガイド業を行った後、麻布大学で13年間教鞭をとる。宮城県の離島・金華山でシカの研究を35年間続けている。 「森から海へ」評議員、NPO法人生物多様性研究所あーすわーむ代表理事。
[動物博士の生きものがたり]「哺乳類の食事事典」紹介
今回は、拙著「哺乳類の食事事典」の紹介です。 私たち人間は実に多くの種類のものを食べています。肉や魚、貝やエビやカニ、鶏卵、魚卵、穀類、根菜、葉物野菜、フルーツ、木の実、キノコ、海藻、昆虫、軟体動物、ナマコ、ウニなど。さらに、コーヒーやお茶、お酒を飲んだり、さらにケーキやソフトクリームなどのデザートを作ったり。そのメニューの多さは、他の哺乳類と比べても格段に多いのです。 では、他の哺乳類は何を食べているのでしょうか? 肉食の動物も、植物食の動物も、雑食の動物もいます。食物のメニューがとても少ない動物もいれば、さまざまな食物を食べる動物もいます。それはなぜでしょうか? なぜこのように食べるものが異なるのでしょうか? 何を、どれだけ食べるかということには、理由があるのです。私たちにも食物を選ぶ理由があります。少々栄養が偏ってもお腹いっぱいになりたい時、病後などできちんとバランス良く栄養を摂らなくてはいけない時、ちょっと甘いものを食べたりお酒を飲んだりしてリフレッシュしたい時など。動物たちがこれらと同じ理由で食物選択をしているわけではありませんが、動物たちも理由があって食物を選んでいるのです。 動物が何を食べているかを見ると、さまざまなことが見えてきます。生態系の中で最も重要な要素の一つである「動物の相互関係」です。動物の食物は、生き物です。つまり食べることの裏には食べられることがあり、食べることは食べられることと一体なのです。このような「食べる・食べられる」関係は、食物連鎖といわれますが、実際には、この「食物連鎖」は単純な鎖ではなく、複雑に入り組んだ「食物網」となっていて、生き物の相互の関係を示しています。これは生態系のもっとも基本的で重要な仕組みなのです。 そして、食べる・食べられる関係は、それぞれの動物の形や行動の進化にも深く関わっているのです。肉食動物は獲物を捕らえるために、草食動物は逃げるために、さまざまな体の形と行動を獲得してきました。それができなかった動物は滅んでいったのです。食べることと食べられないようにすることの攻防が、生物の多様な形と行動を生み出してきたのです。また、自分はより良く食べ、そして他の動物に食べられないようにすることが生きることだとも言えるでしょう。 肉食動物は、栄養価の高い肉を食べるのでとても良い食生活のように思えますが、生きた動物を捕まえるのは至難の業です。狩りに失敗すればエネルギーを消耗し、時には反撃にあって怪我をすることもあるでしょう。それに比べると、植物食の動物はいつでも食料である植物が手に入るので良さそうです。ところが、哺乳類は植物の主要な成分であるセルロースを消化することができません。何らかの工夫をしないと充分な栄養を摂ることができません。しかも、植物は動物に食べられないように毒や棘などの対抗戦略を持っています。さまざまなものを食べる雑食動物はメニューが豊富で良いのですが、何かの食物に特化した効率的な食物の取り方や消化の方法を身につけてはいません。ということで、日本の哺乳類の食物メニューや食べ方など、哺乳類の「食」を紹介する本を書かせていただきました。 「哺乳類は、それぞれが環境に合わせた食べ方を持ち、ほかの生きものや人間の暮らしともつながっています。この本では、日本の哺乳類の食卓をのぞき込み、肉食・草食・雑食という分類だけでは見えない工夫や戦略を紹介します。四季の豊かな恵みの利用、狩りの方法の違いや消化の工夫、食べられる植物側の防御と動物の利用、貯食や脂肪蓄積といった厳しい冬を生き延びる知恵、さらには生態系や農業との関係まで――「食べる」という日常的な行為が、実は大きな物語につながっています。 哺乳類がなにを食べ、どう生きているのか。その視点を持つだけで、野山や街の風景が少し違って見えるはずです。さあ、哺乳類の食の世界へ出かけましょう。」(「哺乳類の食事事典」の「はじめに」より) 哺乳類の食事事典 南正人・福江佑子・永井碧海著 山と渓谷社 2090円(税込) 南 正人:理学博士。麻布大学特命教授。軽井沢で15年間自然ガイド業を行った後、麻布大学で13年間教鞭をとる。宮城県の離島・金華山でシカの研究を35年間続けている。 「森から海へ」評議員、NPO法人生物多様性研究所あーすわーむ代表理事。
[動物博士の生きものがたり]「哺乳類の食事事典」紹介
今回は、拙著「哺乳類の食事事典」の紹介です。 私たち人間は実に多くの種類のものを食べています。肉や魚、貝やエビやカニ、鶏卵、魚卵、穀類、根菜、葉物野菜、フルーツ、木の実、キノコ、海藻、昆虫、軟体動物、ナマコ、ウニなど。さらに、コーヒーやお茶、お酒を飲んだり、さらにケーキやソフトクリームなどのデザートを作ったり。そのメニューの多さは、他の哺乳類と比べても格段に多いのです。 では、他の哺乳類は何を食べているのでしょうか? 肉食の動物も、植物食の動物も、雑食の動物もいます。食物のメニューがとても少ない動物もいれば、さまざまな食物を食べる動物もいます。それはなぜでしょうか? なぜこのように食べるものが異なるのでしょうか? 何を、どれだけ食べるかということには、理由があるのです。私たちにも食物を選ぶ理由があります。少々栄養が偏ってもお腹いっぱいになりたい時、病後などできちんとバランス良く栄養を摂らなくてはいけない時、ちょっと甘いものを食べたりお酒を飲んだりしてリフレッシュしたい時など。動物たちがこれらと同じ理由で食物選択をしているわけではありませんが、動物たちも理由があって食物を選んでいるのです。 動物が何を食べているかを見ると、さまざまなことが見えてきます。生態系の中で最も重要な要素の一つである「動物の相互関係」です。動物の食物は、生き物です。つまり食べることの裏には食べられることがあり、食べることは食べられることと一体なのです。このような「食べる・食べられる」関係は、食物連鎖といわれますが、実際には、この「食物連鎖」は単純な鎖ではなく、複雑に入り組んだ「食物網」となっていて、生き物の相互の関係を示しています。これは生態系のもっとも基本的で重要な仕組みなのです。 そして、食べる・食べられる関係は、それぞれの動物の形や行動の進化にも深く関わっているのです。肉食動物は獲物を捕らえるために、草食動物は逃げるために、さまざまな体の形と行動を獲得してきました。それができなかった動物は滅んでいったのです。食べることと食べられないようにすることの攻防が、生物の多様な形と行動を生み出してきたのです。また、自分はより良く食べ、そして他の動物に食べられないようにすることが生きることだとも言えるでしょう。 肉食動物は、栄養価の高い肉を食べるのでとても良い食生活のように思えますが、生きた動物を捕まえるのは至難の業です。狩りに失敗すればエネルギーを消耗し、時には反撃にあって怪我をすることもあるでしょう。それに比べると、植物食の動物はいつでも食料である植物が手に入るので良さそうです。ところが、哺乳類は植物の主要な成分であるセルロースを消化することができません。何らかの工夫をしないと充分な栄養を摂ることができません。しかも、植物は動物に食べられないように毒や棘などの対抗戦略を持っています。さまざまなものを食べる雑食動物はメニューが豊富で良いのですが、何かの食物に特化した効率的な食物の取り方や消化の方法を身につけてはいません。ということで、日本の哺乳類の食物メニューや食べ方など、哺乳類の「食」を紹介する本を書かせていただきました。 「哺乳類は、それぞれが環境に合わせた食べ方を持ち、ほかの生きものや人間の暮らしともつながっています。この本では、日本の哺乳類の食卓をのぞき込み、肉食・草食・雑食という分類だけでは見えない工夫や戦略を紹介します。四季の豊かな恵みの利用、狩りの方法の違いや消化の工夫、食べられる植物側の防御と動物の利用、貯食や脂肪蓄積といった厳しい冬を生き延びる知恵、さらには生態系や農業との関係まで――「食べる」という日常的な行為が、実は大きな物語につながっています。 哺乳類がなにを食べ、どう生きているのか。その視点を持つだけで、野山や街の風景が少し違って見えるはずです。さあ、哺乳類の食の世界へ出かけましょう。」(「哺乳類の食事事典」の「はじめに」より) 哺乳類の食事事典 南正人・福江佑子・永井碧海著 山と渓谷社 2090円(税込) 南 正人:理学博士。麻布大学特命教授。軽井沢で15年間自然ガイド業を行った後、麻布大学で13年間教鞭をとる。宮城県の離島・金華山でシカの研究を35年間続けている。 「森から海へ」評議員、NPO法人生物多様性研究所あーすわーむ代表理事。
[動物博士の生きものがたり]道具を使う海の人気者:ラッコ
ラッコは、海を生活の場とするイタチ科の動物です。漢字では、海獺と書きます。海のカワウソ(獺)ということです。ラッコは、一時は全国の水族館や動物園で100頭以上も飼育され人気者になりました。しかし、アメリカの輸出禁止策で新規の飼育ができなくなり、国内で飼育されていたラッコも老衰などで死亡し、2025年には鳥羽水族館にいる2頭だけとなりました。ラッコは、北アメリカ大陸から千島列島の沿岸にかけて生息していますが、日本では20世紀初頭に絶滅したと考えられていました。近年、北海道東部で目撃があり、モユルリ島(根室市)や霧多布岬(浜中町)などで繁殖も確認されるようになったそうですが、東北地方ではほとんど目撃がありません。しかし、2018年に三陸の牡鹿半島の沖でラッコが目撃されました。左目が白く濁っていることから、2008年に同所で目撃された個体と同一である可能性も指摘されています。 ラッコは、海に浮かんで、お腹の上に石を置いて、それに貝をぶつけて割って食べるところが有名になりました。海に棲む動物で道具を使う動物はラッコだけです。しかも、ラッコは気に入った石を前足の懐の皮膚のたるみに入れて保管し、次に貝を割る時にも使ったり、貝を岸壁の石にぶつけたり、かなり高度な行動をします。ある動物園では強化ガラスに貝を叩きつけすぎて、強化ガラスにヒビをいれてしまったそうです。夜間には、コンブなどの海藻を体に巻きつけて流されないようにして眠るなど、興味深い生活をしています。ウニ、アワビ、カニ、イカ、二枚貝などの栄養価の高い食料を大量に食べ、冷たい海水に熱を奪われないように体温を保っています。 ラッコのもう一つの特徴は哺乳類でもトップクラスの体毛の密度です。鳥羽水族館の設立者の中村幸昭さんの著書では、太く長いガードヘアと、アンダーファーと呼ばれる非常に細い綿毛の2種類があり、一本のガードヘアに対して70本のアンダーファーが一つの毛穴から生えていて、全身で8−10億本にもなるそうです。そして、その密度はアザラシの2倍だそうです。一方で、皮下脂肪がほとんどありません。ですから、体毛を常に清潔に保って全身の毛に空気を貯めて体温の低下を防がなくてはなりません。そのため、ラッコは長い時間をかけて毛繕い(グルーミング)をしています。柔らかい体のおかげで、全身をくまなく毛繕いすることができます。 そして、この豪華な食事メニューと良質な毛皮が、ラッコの運命を左右することになります。良質な毛皮を取るために乱獲され、カナダのブリティッシュコロンビア州やアメリカのワシントン州などのラッコは絶滅し、日本でもほぼ絶滅してしまったのです。その後、野生動物の保護の意識が広まり、保護政策が取られました。日本でも、なんと明治45年に「臘虎膃肭獣猟獲取締法(らっこおっとせいりょうかくとりしまりほう)」という法律ができて、保護されるようになりました。 ラッコはウニやアワビを食べるために、漁業者からは「害獣」として嫌われました。ところが、ラッコと海洋生態系との関係の研究が進むと、ラッコとウニ、そしてコンブの3者の関係がわかってきたのです。ラッコが激減すると、ウニが増えて、コンブが食べ尽くされて磯焼けが起こります。コンブが減るとコンブの森で生活していた稚魚などが居なくなり、さらにコンブによるCO2の吸収が減少し地球温暖化に影響する可能性があるのです。つまり、ラッコがある程度生息していることは、海の生態系、そして温暖化対策にとって重要なことだったのです。 しかし、さらに、人間の関与を絡めるとさらに複雑なことになります。ウニは人間にとっての重要な漁業資源です。ラッコが増えすぎて、ウニが取れなくなってしまっては困ります。特に、稚ウニや稚貝を放流して育てているところでは、経済的な損失は大きくなります。一方で、コンブも重要な漁業資源です。つまり、その地域でどのような漁業資源を利用しているかによって、何を保護するのかが異なり、それによって、ラッコと生態系は大きな影響を受けるというわけです。 ラッコを含めた海の生態系を健全に保ちながら、人間が漁業資源を確保するには多くの課題があります。現在では、ラッコをエコツアーの素材に使うことでラッコの生息から経済的な価値を生み出して地域に還元する試み、磯焼けで身の詰まっていないウニの陸上での養殖の試みなどが行われているようです。漁業者が単一の漁業資源に依存するのではなくウニやコンブ、そしてコンブの森から得られる他の漁業資源をトータルに利用するような仕組みも必要だと思います。野生動物と生態系を保全しながら、地域の経済を守るためには、まだまだ工夫が必要です。 2025年12月には北海道で、海水温の上昇でウニが大発生し、磯焼けが拡大し、コンブが記録的な不漁となったことが報道されました。今後コンブの分布域が北海道からさらに北や東に移動し、北海道でコンブが採れなくなる可能性があるそうです。もっと大きな、そして深刻な変化が始まっているのかもしれません。 (写真は、AIで作成したラッコです) 南 正人:理学博士。麻布大学特命教授。軽井沢で15年間自然ガイド業を行った後、麻布大学で13年間教鞭をとる。宮城県の離島・金華山でシカの研究を35年間続けている。 「森から海へ」評議員、NPO法人生物多様性研究所あーすわーむ代表理事。
[動物博士の生きものがたり]道具を使う海の人気者:ラッコ
ラッコは、海を生活の場とするイタチ科の動物です。漢字では、海獺と書きます。海のカワウソ(獺)ということです。ラッコは、一時は全国の水族館や動物園で100頭以上も飼育され人気者になりました。しかし、アメリカの輸出禁止策で新規の飼育ができなくなり、国内で飼育されていたラッコも老衰などで死亡し、2025年には鳥羽水族館にいる2頭だけとなりました。ラッコは、北アメリカ大陸から千島列島の沿岸にかけて生息していますが、日本では20世紀初頭に絶滅したと考えられていました。近年、北海道東部で目撃があり、モユルリ島(根室市)や霧多布岬(浜中町)などで繁殖も確認されるようになったそうですが、東北地方ではほとんど目撃がありません。しかし、2018年に三陸の牡鹿半島の沖でラッコが目撃されました。左目が白く濁っていることから、2008年に同所で目撃された個体と同一である可能性も指摘されています。 ラッコは、海に浮かんで、お腹の上に石を置いて、それに貝をぶつけて割って食べるところが有名になりました。海に棲む動物で道具を使う動物はラッコだけです。しかも、ラッコは気に入った石を前足の懐の皮膚のたるみに入れて保管し、次に貝を割る時にも使ったり、貝を岸壁の石にぶつけたり、かなり高度な行動をします。ある動物園では強化ガラスに貝を叩きつけすぎて、強化ガラスにヒビをいれてしまったそうです。夜間には、コンブなどの海藻を体に巻きつけて流されないようにして眠るなど、興味深い生活をしています。ウニ、アワビ、カニ、イカ、二枚貝などの栄養価の高い食料を大量に食べ、冷たい海水に熱を奪われないように体温を保っています。 ラッコのもう一つの特徴は哺乳類でもトップクラスの体毛の密度です。鳥羽水族館の設立者の中村幸昭さんの著書では、太く長いガードヘアと、アンダーファーと呼ばれる非常に細い綿毛の2種類があり、一本のガードヘアに対して70本のアンダーファーが一つの毛穴から生えていて、全身で8−10億本にもなるそうです。そして、その密度はアザラシの2倍だそうです。一方で、皮下脂肪がほとんどありません。ですから、体毛を常に清潔に保って全身の毛に空気を貯めて体温の低下を防がなくてはなりません。そのため、ラッコは長い時間をかけて毛繕い(グルーミング)をしています。柔らかい体のおかげで、全身をくまなく毛繕いすることができます。 そして、この豪華な食事メニューと良質な毛皮が、ラッコの運命を左右することになります。良質な毛皮を取るために乱獲され、カナダのブリティッシュコロンビア州やアメリカのワシントン州などのラッコは絶滅し、日本でもほぼ絶滅してしまったのです。その後、野生動物の保護の意識が広まり、保護政策が取られました。日本でも、なんと明治45年に「臘虎膃肭獣猟獲取締法(らっこおっとせいりょうかくとりしまりほう)」という法律ができて、保護されるようになりました。 ラッコはウニやアワビを食べるために、漁業者からは「害獣」として嫌われました。ところが、ラッコと海洋生態系との関係の研究が進むと、ラッコとウニ、そしてコンブの3者の関係がわかってきたのです。ラッコが激減すると、ウニが増えて、コンブが食べ尽くされて磯焼けが起こります。コンブが減るとコンブの森で生活していた稚魚などが居なくなり、さらにコンブによるCO2の吸収が減少し地球温暖化に影響する可能性があるのです。つまり、ラッコがある程度生息していることは、海の生態系、そして温暖化対策にとって重要なことだったのです。 しかし、さらに、人間の関与を絡めるとさらに複雑なことになります。ウニは人間にとっての重要な漁業資源です。ラッコが増えすぎて、ウニが取れなくなってしまっては困ります。特に、稚ウニや稚貝を放流して育てているところでは、経済的な損失は大きくなります。一方で、コンブも重要な漁業資源です。つまり、その地域でどのような漁業資源を利用しているかによって、何を保護するのかが異なり、それによって、ラッコと生態系は大きな影響を受けるというわけです。 ラッコを含めた海の生態系を健全に保ちながら、人間が漁業資源を確保するには多くの課題があります。現在では、ラッコをエコツアーの素材に使うことでラッコの生息から経済的な価値を生み出して地域に還元する試み、磯焼けで身の詰まっていないウニの陸上での養殖の試みなどが行われているようです。漁業者が単一の漁業資源に依存するのではなくウニやコンブ、そしてコンブの森から得られる他の漁業資源をトータルに利用するような仕組みも必要だと思います。野生動物と生態系を保全しながら、地域の経済を守るためには、まだまだ工夫が必要です。 2025年12月には北海道で、海水温の上昇でウニが大発生し、磯焼けが拡大し、コンブが記録的な不漁となったことが報道されました。今後コンブの分布域が北海道からさらに北や東に移動し、北海道でコンブが採れなくなる可能性があるそうです。もっと大きな、そして深刻な変化が始まっているのかもしれません。 (写真は、AIで作成したラッコです) 南 正人:理学博士。麻布大学特命教授。軽井沢で15年間自然ガイド業を行った後、麻布大学で13年間教鞭をとる。宮城県の離島・金華山でシカの研究を35年間続けている。 「森から海へ」評議員、NPO法人生物多様性研究所あーすわーむ代表理事。
[動物博士の生きものがたり] 南米では食用にされる世界一大きなネズミ:カピバラ
今回は、カピバラという動物を紹介します。 カピバラは、最近ではキャラクター化されてグッズの販売もされるなど、ちょっとした人気者になっています。「カピパラ」とか「カビバラ」とも言われますが、英語ではCapybaraなので、カピバラが正しい名前です。南米に住んでいるのですが、南米先住民の言葉で「草を食べる者」を意味する語が、スペイン語や英語に取り入れられたとされています。 さて、このカピバラは、現在生きているネズミの仲間で最大の動物です。雌雄とも最大で体長130cm、体重60kgにも達します。写真は動物園で撮影したものですが、横に少し映っているベンチと比べると、その大きさのイメージが湧くかと思います。前足の指は4本、後足の指は3本です。 カピバラは、水辺で生活しています。水辺の柔らかい植物を好み、外敵が来ると水の中に逃げ込みます。足指には小さな水掻きがついています。さらに、目と耳と鼻が頭の上部についているので、頭の大部分を水に沈めて、目と耳と鼻を出して水中に隠れて、周りの様子を伺いながら呼吸をすることができます。食べ物も危険回避も、水辺に依存しているのです。 南米には、このカピバラをはじめとして、体長が60cmを超える大型のネズミの仲間が何種類もいます。他の大陸にも大型のネズミの仲間はいます。例えば、北米のビーバー、アフリカのヤマアラシなどです。しかし、南米ほど多くの種類の大型のネズミはいませんし、カピバラほど大きなネズミの仲間はいません。さらに、南米では体重が数百キログラムから、最大で1トン近くに達したと推定される巨大なネズミの化石も見つかっています。南米は大型のネズミが繁栄している大陸なのです。 ではなぜ南米にこのような大型のネズミたちがいるのでしょうか。南米大陸は、ある時代まで北米大陸やアフリカから独立した大きな「島」だったのです。その時代には、南米で独自に進化した有蹄類がいましたが、のちに北米から入ってきた有蹄類ほどの競争力は持っていなかったと考えられています。さらに、現代のネコ科やイヌ科のような、高度に進化した肉食獣はほとんどいませんでした。ネズミは、その頃にアフリカから、海を渡ってきたと考えられています。新天地の南米に入ったネズミは、さまざまな方向に進化しました。そして、ネズミの一部が大きくなる進化を遂げたのです。「大型で大量の植物を食べる」という生活様式をとるライバルの動物が少なかったので、ネズミの仲間の何種類かがそのような生活様式を獲得したというわけです。 ところが、その後、南米大陸は北米大陸と地続きになりました。そうすると、北米大陸から、進化したタイプの有蹄類などの草食動物が南米大陸に入ってきました。ウマの仲間やシカの仲間などです。そして、それを追って、進化したタイプの肉食獣もやってきました。このような動物がやってくると、南米の有蹄類も肉食獣も競争に負けて滅びて行きました。 大型のネズミの仲間たちも、これらの新しいライバルや捕食者と対峙しなくてはなりませんでした。先述の最も巨大なネズミは、同じように巨大な草食獣との競争に敗れたのか、滅んでしまいました。しかし、ネズミの仲間は北米から草食獣や肉食獣が入ってくる前にさまざまな環境に適応し、何種類もの大型のネズミが生活していました。やってきた草食獣や肉食獣の種類も他の大陸ほどは多くなかったようです。大型のネズミの仲間たちは、水辺や湿地を利用したり、大きくなりすぎずに林内で隠れて生活したりしながら捕食者から逃れ、草食獣との直接の競争を避け、さらに繁殖の速さを武器に、今まで生き残ってきたと思われます。他の大陸では、ネズミの仲間がさまざまな環境に進出して大型化する前にライバルである有蹄類が繁栄してしまったので、ネズミの仲間は特殊な環境に進出したものを除いて大きくなれなかったのです。動物たちは、他の動物たちと競争しながら、生活空間や生活環境、食べ物、休み場所など、生活様式が重ならないように生活しています。これを、生態的地位(ニッチ)をめぐる競争と排除と言います。ビジネスの世界でも、商売上のやり方で隙間を狙うことを、「ニッチを取る」とか「ニッチャー」とか、言われることがありますが同じようなことです。他の企業と全く同じことをやっていると、競争が激化し、やがて負けた方が滅びるのです。誰もやっていないことをやれると、「ニッチを取って」生き残れるのです。 さて、このカピバラを食肉として利用している地域があります。南米のベネズエラなど一部地域では、このカピバラの肉を食べ、食肉用に飼育しているそうです。脂肪が少なく赤身で、食べやすいそうです。たしかに、食肉加工にする際の歩留まりはよさそうです。私は、40年ほど前にカピバラ肉が日本の給食に利用されているという新聞記事を読んだ記憶があります。しかし、少し調べたのですが、そのような記事は見つかりません。私の記憶違いなのかもしれません。 人馴れしやすく、飼育しやすいカピバラは多くの動物園で飼育されています。どこかの動物園でじっくり観察してみてください。 南 正人:理学博士。麻布大学特命教授。軽井沢で15年間自然ガイド業を行った後、麻布大学で13年間教鞭をとる。宮城県の離島・金華山でシカの研究を35年間続けている。 「森から海へ」評議員、NPO法人生物多様性研究所あーすわーむ代表理事。
[動物博士の生きものがたり] 南米では食用にされる世界一大きなネズミ:カピバラ
今回は、カピバラという動物を紹介します。 カピバラは、最近ではキャラクター化されてグッズの販売もされるなど、ちょっとした人気者になっています。「カピパラ」とか「カビバラ」とも言われますが、英語ではCapybaraなので、カピバラが正しい名前です。南米に住んでいるのですが、南米先住民の言葉で「草を食べる者」を意味する語が、スペイン語や英語に取り入れられたとされています。 さて、このカピバラは、現在生きているネズミの仲間で最大の動物です。雌雄とも最大で体長130cm、体重60kgにも達します。写真は動物園で撮影したものですが、横に少し映っているベンチと比べると、その大きさのイメージが湧くかと思います。前足の指は4本、後足の指は3本です。 カピバラは、水辺で生活しています。水辺の柔らかい植物を好み、外敵が来ると水の中に逃げ込みます。足指には小さな水掻きがついています。さらに、目と耳と鼻が頭の上部についているので、頭の大部分を水に沈めて、目と耳と鼻を出して水中に隠れて、周りの様子を伺いながら呼吸をすることができます。食べ物も危険回避も、水辺に依存しているのです。 南米には、このカピバラをはじめとして、体長が60cmを超える大型のネズミの仲間が何種類もいます。他の大陸にも大型のネズミの仲間はいます。例えば、北米のビーバー、アフリカのヤマアラシなどです。しかし、南米ほど多くの種類の大型のネズミはいませんし、カピバラほど大きなネズミの仲間はいません。さらに、南米では体重が数百キログラムから、最大で1トン近くに達したと推定される巨大なネズミの化石も見つかっています。南米は大型のネズミが繁栄している大陸なのです。 ではなぜ南米にこのような大型のネズミたちがいるのでしょうか。南米大陸は、ある時代まで北米大陸やアフリカから独立した大きな「島」だったのです。その時代には、南米で独自に進化した有蹄類がいましたが、のちに北米から入ってきた有蹄類ほどの競争力は持っていなかったと考えられています。さらに、現代のネコ科やイヌ科のような、高度に進化した肉食獣はほとんどいませんでした。ネズミは、その頃にアフリカから、海を渡ってきたと考えられています。新天地の南米に入ったネズミは、さまざまな方向に進化しました。そして、ネズミの一部が大きくなる進化を遂げたのです。「大型で大量の植物を食べる」という生活様式をとるライバルの動物が少なかったので、ネズミの仲間の何種類かがそのような生活様式を獲得したというわけです。 ところが、その後、南米大陸は北米大陸と地続きになりました。そうすると、北米大陸から、進化したタイプの有蹄類などの草食動物が南米大陸に入ってきました。ウマの仲間やシカの仲間などです。そして、それを追って、進化したタイプの肉食獣もやってきました。このような動物がやってくると、南米の有蹄類も肉食獣も競争に負けて滅びて行きました。 大型のネズミの仲間たちも、これらの新しいライバルや捕食者と対峙しなくてはなりませんでした。先述の最も巨大なネズミは、同じように巨大な草食獣との競争に敗れたのか、滅んでしまいました。しかし、ネズミの仲間は北米から草食獣や肉食獣が入ってくる前にさまざまな環境に適応し、何種類もの大型のネズミが生活していました。やってきた草食獣や肉食獣の種類も他の大陸ほどは多くなかったようです。大型のネズミの仲間たちは、水辺や湿地を利用したり、大きくなりすぎずに林内で隠れて生活したりしながら捕食者から逃れ、草食獣との直接の競争を避け、さらに繁殖の速さを武器に、今まで生き残ってきたと思われます。他の大陸では、ネズミの仲間がさまざまな環境に進出して大型化する前にライバルである有蹄類が繁栄してしまったので、ネズミの仲間は特殊な環境に進出したものを除いて大きくなれなかったのです。動物たちは、他の動物たちと競争しながら、生活空間や生活環境、食べ物、休み場所など、生活様式が重ならないように生活しています。これを、生態的地位(ニッチ)をめぐる競争と排除と言います。ビジネスの世界でも、商売上のやり方で隙間を狙うことを、「ニッチを取る」とか「ニッチャー」とか、言われることがありますが同じようなことです。他の企業と全く同じことをやっていると、競争が激化し、やがて負けた方が滅びるのです。誰もやっていないことをやれると、「ニッチを取って」生き残れるのです。 さて、このカピバラを食肉として利用している地域があります。南米のベネズエラなど一部地域では、このカピバラの肉を食べ、食肉用に飼育しているそうです。脂肪が少なく赤身で、食べやすいそうです。たしかに、食肉加工にする際の歩留まりはよさそうです。私は、40年ほど前にカピバラ肉が日本の給食に利用されているという新聞記事を読んだ記憶があります。しかし、少し調べたのですが、そのような記事は見つかりません。私の記憶違いなのかもしれません。 人馴れしやすく、飼育しやすいカピバラは多くの動物園で飼育されています。どこかの動物園でじっくり観察してみてください。 南 正人:理学博士。麻布大学特命教授。軽井沢で15年間自然ガイド業を行った後、麻布大学で13年間教鞭をとる。宮城県の離島・金華山でシカの研究を35年間続けている。 「森から海へ」評議員、NPO法人生物多様性研究所あーすわーむ代表理事。