「ネネ」
命は必ずこの世を去る。
人は動物は、どう生きたか?
犬や猫は人間によってどう生きるか変わる。
今から八年前。
千葉県富里保健所で 一匹の老犬が濡れた瞳のまま息絶えた。
辛くて悲しくて苦しくて、、、
そんなやり切れない悲痛な思いのまま命尽きてしまった。
13才のネネ。
ネネは、お腹に赤ちゃんが居た。血便を出す厳しい病気を患っていた。
そんな状態のネネを飼い主は残酷にも無残にもセンターへ連れて行った。飼育放棄である。
センターの冷たい床で、それでもネネは「ここで赤ちゃんが産める」と安心したかのよう穏やかで優しい顔に見えた。(一枚目写真)
嘔吐し血便を出す。それでも、力の限り餌を食べたのは何としても無事に赤ちゃんを産みたかったからでしょう。(二枚目写真)
平山氏は、そのようなネネをセンターから引き出す準備をはじめた。そして引き出し後ネネの引き取り先、それにかかる時間、費用などに苦慮している間に、お腹の子たちをかばうように寝転んだネネの、その姿を最後の写真として この翌日の朝、出産することなく赤ちゃんとともに天に召された。
悲しかっただろう。
どんなに淋しかっただろう。
どんなに苦しかっただろう。
どんな 辛かっただろう。
そして
どんなに生みたかっただろう。
どんなに子ども達と一緒に暮らしたかっただろう。
幸せな日々を送りたかっただろう。
ただ、これだけの願いが叶わなかった。
傷ついた体と心を癒やしてくれる人間も居ない。涙で壊れてしまった赤い首輪とお腹の子供たちを連れてネネは儚くこの世を去って逝った。
これがこの日本と言う国の動物に対する心無い行為である。
何も解らない、知らないから関心もない。このような簡単な言葉で片付けてはならない。
こんなにも簡単に死なせてしまってよいのだろうか?
これは犯罪です。国は行政はこの犯罪を繰り返している。これが人間であれば重篤なことである。
残念、可哀想。そのような言葉は要らない。こんな無責任な言葉で動物は助からない。
遺棄する人間はこの世に不必要。
如何なる子達にも普通に暮らせる環境を整える。特別なことではない。
この普通のことが現在の日本に存在しないがためにボロボロの首輪に涙をしたため死んで行く子が 数えきれないほどいる。私たちは人として考えなければならない。
日本は発展だけを望む。力のない弱い命に対して残酷である。体裁の良い言葉や綺麗事は要らない。
この国に生きている全ての生命に温かく思いやりのある平和な国になることを願う。
ネネ、辛かったね。
ネネ、苦しかったね。
ネネ、悲しかったね。
ネネ、生みたかったね。
ネネと生まれてきたかった子達に心より黙祷!