【夢旅 030】 アオハルの湖

 

 

 

アオハルの湖

いつまでも忘れちゃいけないものって、あるよね

「アオハル」って言葉を知ってる?
青い春、青春。
青春って聞くと「若い」とか「青い」とか「甘酸っぱい」とか「恋」なんてイメージが湧いてくる。そして、それはほんの一時期だけのことって思ってたけど、ホントにそうなのかな?

ボクはもうすぐ8歳になる。人間の年齢に換算すると、だいたい48歳くらい。だから、ボクはアラフィフのおじさんだ。もういいトシなんだから、意味のないことや馬鹿馬鹿しいこと、勢いにまかせた行動や新しいこと、恋をしちゃいけないんだ。って思ってた。ずっと思ってた。でも、ホントにそうなのかな?

で、アオハルの話。
アオハルって言葉が世に出たのは2010年のこと。とある雑誌の名前だったんだって。その後、漫画やテレビCFやテレビ番組で使われて広まっていったらしい。「アオハルかよ」ってセリフを聞いたことある人も多いんじゃないかな。
アオハルと青春(せいしゅん)、何が違うのかっていうと、何も違わない、おんなじ。初々しくてピュアで一所懸命でエネルギッシュで、そして、まぶしい。あんまりにもまぶしいから、ちょっとおちゃらけるくらいがちょうどいいのかもしれないね。
だから、「アオハル」。「青春(せいしゅん)」だと生真面目すぎる感じがするし、何より昭和の香りが濃いもんね。口にするのがちょっと恥ずいかしいかも。

少し前、福島県の裏磐梯にある小さな湖に行ったんだ。そこに猫はおらず、11頭の犬と10人の大人たちがいた。犬たちは湖畔を気ままに歩いたり全力で駆け回ったりしてた。湖に思いっきりダイブして泳ぎ回るやんちゃな犬もいた。犬たちはただ歩き、ただ走り、ただ泳ぐ。
大人たちは、食べたり笑ったり、犬と一緒にカヌーやSUPで湖に漕ぎ出していったり、湖畔に座って湖を見たりして思い思いの時間を過ごしてた。夕方になると長い縄をグルグル回して犬と一緒に縄跳びをしてゲラゲラ笑ったり、暗くなったら焚き火をして、その周りをグルグル回ってフォークダンスっていう踊り(ほとんど縄文人の火踊りって感じだったけど)を踊って、やっぱりゲラゲラ笑ってた。グルグルゲラゲラ。

犬も大人たちもみんな自由。ピュアに一所懸命にエネルギッシュに “今” を楽しんでたんだよね。
必要以上に周りに気を遣うなんてことはしないし、行動にいちいち意味とか理由付けをしたりもしない。遊んで踊ってグルグルゲラゲラ。子どもみたいにグルグルゲラゲラ。ボクもそんな犬や大人たちを見てグルグルゲラゲラ。頭がカラッポになっちゃった。でも、これがめちゃくちゃ新鮮で楽しかったんだよね。猫は基本的に単独行動で群れないんだけど、たまにはこんな “今” もいいかな、なんて思っちゃった。みんなでグルグルゲラゲラ。まるで「アオハル」なんだ。

アオハルや青春が「人生のうちの若くエネルギーにあふれた一時期」って言われたりもするけど、湖畔でみんなと一緒に過ごすうちにやっぱりそれって違うって思ったんだ。アオハルも青春も時期じゃなくて「心のありよう」じゃないかな。だから、おじさんになってもおばさんになっても、おじいさんになってもおばあさんになっても、馬鹿馬鹿しいことして笑ったり、新しいことを始めて悩んだり、恋をしてドキドキしたり泣いたりしていいんじゃないかな。
って、猫のボクが言うのもなんだけど、ね。


そういえば、松下幸之助さんっていう人が座右の銘にしていた言葉が「青春とは心の若さである。希望と信念にあふれ勇気に満ちて、日に新たな活動を続ける限り、青春は永遠にその人のものである。」なんだって。
つまり、「いつまでもアオハル!」ってことなのかもね。いくつになってもピュアな気持ちで一所懸命に何かを続けてみなよ、ってこと。新しいことをして失敗しても恥ずかしいことじゃないし、そもそも恥ずかしいことしちゃうのがアオハルだし。って、なんか文章までグルグルゲラゲラしてきたじゃん。いくらアオハルでも文章はちゃんと書かねば…。

まぁ、猫も犬もいつだって “今” を懸命に生きてるし、打算や策略のないピュアな心で考えて行動してる。言ってみれば、いつもいつまでもアオハルってこと。人間も少しはもボクたちを見習ったほうがいいのかもね。
ただ、現実には、人間の大人っていろんなもの抱えてたり、どうなるかなんてわかるはずもないのに先のことをやたら心配したり、毎日毎日大変そう。でも、ね、「アオハルの心」を忘れちゃいけないんだよ。で、いくつになってもアオハルしていいんだよ、きっと。

なんか、猫なのにそんなことを考えた「犬まみれな湖畔の3日間」でした。
アオハルないい旅だったなぁ。