牧場に出没するシカ
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近年シカが分布域を広げ、数も増えていることが大きな問題になっています。これらの写真は、ある牧場に出没するシカを撮影したものです。この牧場では、春から晩秋までウシを放牧し、冬は畜舎で干し草やサイレージを与えて育てています。サイレージというのは、牧草などを発酵させた飼料です。一般に牧草は、繊維質に富むイネ科植物やタンパク質やカルシウムを多く含むマメ科植物が中心です。長い畜産の歴史の中で、ウシの成長や肥育、さらには肉質・乳質・乳量に適した草種が選抜され、それぞれの地域の気候にあったものが育てられています。

シカはシカ科に属する動物ですが、ウシ(ウシ科)と比較的近縁で、いずれも反芻動物として草や木の葉などの植物質を主に摂食します。ウシにとって牧草が好適な飼料であるように、シカにとっても牧草は魅力的な食物です。牧草は栄養価が高いだけでなく、群生しているため採食効率が高く、広く探し回る必要がありません。さらに、牧場は春から晩秋まで常に牧草が利用できるように管理されているため、シカにとっては安定的に食料を得られる環境となっています。冬から春にかけて牧草の生育が不十分な時期であっても、越冬性牧草の株元や、日当たりの良い場所に生育する他の植物が利用可能であり、これらもシカにとって重要な食料となります。
このように牧場はシカにとって好適な採食場所なのです。しかし、牧場にとっては、ウシのために育てている牧草をシカに食べられてはたまりません。牧草が不足してしまえば、飼料を購入してウシに与える必要も出かねません。シカを牧場に入れないようになんとかしなくてはなりません。ところが、これがなかなか難しいのです。ウシは長い間飼育されてきた動物ですから、放牧地の周りが有刺鉄線で囲われると、それを突破して出てゆくことはあまりありません。しかし、シカはウシよりも小型で敏捷ですから、隙間を探して入り込みます。ジャンプ力もありますので、有刺鉄線が低くなっているところを飛び越えます。電気柵は触ると高圧電流が流れて痛みを感じさせる柵で、きちんと設置するとシカの侵入を防げます。しかし、広大な牧草地に設置するには大きな予算がかかります。電気柵は草などが触ったり、一部でも倒れて地面に接したりすると、漏電して効果が下がってしまいます。メンテナンスが大変で、維持管理にも労力と費用がかかります。牧草地にシカを入れないというのはなかなか難しいのです。
牧場はシカから大きな被害を受けているのですが、見方を変えると、牧場はシカを増やしているともいえるのです。春先には牧草が爆発的に成長し、栄養価の高い若草が大量に生えるので「スプリング・フラッシュ」といわれるのですが、それはシカにとっても好適な食料となります。その後も晩秋まで牧草は安定してあり、シカは良い栄養状態を維持します。その結果、シカの出産率は高止まりし、死亡率は下がり、シカの数は増加します。充分な栄養状態を確保したシカは厳しい冬も乗り越えることが可能になるのです。

これは大変難しいことですが、牧場がシカをそのままにしておくと、その地域のシカが増加し、農作物など他にも影響を与えてしまう可能性を高めるのです。現状では、電気柵でできるだけ牧草地を守りながら、牧場でシカの捕獲を行い、シカに「牧場は危険な場所である」と学習させるしかないのかもしれません。私たちは、安くて美味しい牛乳をいただき、良質な牛肉をいただいていますが、牧場の維持と乳牛や肉牛の飼育には野生動物とどのように付き合うのかという大きな問題があることを認識しなくてはなりません。こうした現状を理解し、社会全体で牧場を支えていく必要があるでしょう。

南 正人:理学博士。麻布大学特命教授。軽井沢で15年間自然ガイド業を行った後、麻布大学で13年間教鞭をとる。宮城県の離島・金華山でシカの研究を35年間続けている。
「森から海へ」評議員、NPO法人生物多様性研究所あーすわーむ代表理事。