ちっちゃな“神様”が遺してくれたもの #2
愛しのMONの命の灯が消えつつあるとき、途方にくれるわたしにずっと寄り添ってくれたのが、ニューヨークに住む友人である。
日曜日の深夜に日本に住む友だちを起こすのは気が引けたが、ニューヨークなら週末の昼間。思い切って電話をすると、我がことのように心配してくれた。彼女もたいへんな愛犬家で3匹のヨーキー(ヨークシャーテリア)を飼っていた。
「いつでも電話して! こっちが夜中の時間でもいいから」
そんな言葉がどれだけ心強かったことだろう。
翌日の朝、MONはわたしの眼をじっと見つめながら旅立った。長い間、片時も目をそらさず、何かを語りかけるように……。最後はとても安らかなやさしい表情をしていた。少なくとも、わたしにはそう感じた。
ニューヨークに電話をして、MONが亡くなったと涙ながらに報告すると、彼女もいっしょに泣いてくれた。彼女のヨーキーたちも、事情を察して、悲しんでくれているという。
寝たきりにもならず、前日まで自分の足で立って……。迷惑をかけない、ほんとうに親孝行なコだったわね。偉かったわ。あなたを心配させたくなかったのよ。それに、ママの仕事が一段落ついた頃を見計らって逝くなんて……。ぜ~んぶ、ちゃんとわかってたのよ。で、死ぬ日も自分で決めて。犬って、ほんとにすごいわね。あのコたちは、ほんとうにお利口さんよ。
そんな彼女の言葉を聞きながら、子どものように嗚咽した。
ほんとうにそうだと思った。
犬を飼ったことのない人、犬のことをあまり知らない人からすれば、「何をおおげさに言っているんだ。犬が死ぬ日を決める? そんなのは人間の勝手な思い込みだろう」とバカにするかもしれない。ペットが死んだくらいで大騒ぎするなんて、どうかしていると。
だが、わかる人にはわかる。それでいいではないか。
何らかの意味があって、MONはわたしの元にやって来た。
その役目を果たし、DOGの姿をしたGODは空に還っていったのだ。
とても賢く、気高く、人見知りで、甘えん坊の美しいコ。
ありがとう、ほんとうにありがとう。あなたがいてくれて、わたしは幸せだったよ。