チャチャ日記 5

当たり前のことだが、犬を飼うということは犬のお世話するということだ。
これが意外と大変なのだ。
何より手間が掛かるのは糞尿の世話である。
チャチャが我が家に来たばかりの頃、おしっこ場所がなかなか定まらなくて苦労した。おしっこスマットを敷いて時間を掛けて教えているうちに今ではトイレタイムを失敗することはなくなった。
とは言え、おしっこマットの取り換えや、糞の回収、垂らしたおしっこを拭き取るなどの作業は忙しいのだ。
さらにブラッシングも欠かせない。
毛足の長いチャチャはよく毛が抜ける。
我が家の床はダークブラウンの木の床なのでチャチャの白い毛がよく目立つ。
きれい好きの妻が必死になって掃除してもなかなか追いつかない。
「掃除機かけたばっかりなのにまた毛だらけなのよ。ノイローゼになりそう!!」と妻の悲鳴は毎日のように聞こえてくる。
そして、さらに食事の用意も大変だ。
我が家では鹿の生肉を与えているがそれだけだと栄養が偏るのでドライフードや野菜を混ぜて与えている。
犬は何でも食べてしまうので犬の栄養管理は飼い主がしっかりやらなくちゃならない。
毎朝の散歩、月に2度のお風呂、定期的な動物病院の診察などなどやることはたくさんある。
犬のお世話は大変だけれども意外と楽しみながらやっている。
そんな時、ふと気が付いた。
「やってることは老人介護と同じじゃないか!!」
バランスのいい食事をつくったり、お風呂に入れてあげたり、医者に連れて行ったり、そして何より糞尿の世話をしている。やってることは同じなのに、どうして老人老人介護は憂鬱で犬のお世話は楽しいのだ。
おかしなものである。
その違いは一つしかないのだ。
犬は可愛いけれど老人は可愛くない。
可愛いければ糞尿の世話も苦にならないということなのだ。
歳老いた老人の外見はお世辞にも可愛いとは言えない。しかも、人間にはプライドがある。若い者より長く生きてきたんだというプライド。ましてや企業の管理職にでもなった人は「俺は偉かったんだぞ。」などと心の底で思っている。
そんなニュアンスで若い人に接すればますます可愛くない。
老人介護が憂鬱なのは人間独特の性分によるものなのである。
チャチャのお尻の糞を拭きながら、僕は歳をとったら可愛い老人になった方がいいと思った。
明るい色の服を着てユーモアのあることを言っていつも笑っている。
時にはバカな失敗もやる。バカだと言われてもニコニコしている。
立派な老人じゃなくて可愛い老人になろう。そうすれば多少お漏らししても許してくれるだろう。
「おじいちゃん、またこんな所におしっこしちゃって!ダメでしょ!!」と怒られたら「ワン」とだけ応えて尻尾を振れば介護も明るくなる。

執筆者

本田 亮 ほんだ りょう
CMプランナーとして、ピッカピカの1年生など数多くのキャンペーンを企画・制作してきた。
サラリーマン転覆隊隊長として、世界中の海山川を旅し、その体験をアウトドア雑誌などで連載中。
環境マンガ家として、様々な社会問題を取り上げ楽しくわかりやすく解説している。