森から海へ主催の鹿ツアーで受け取った、意識的に捉えるあり方
11/4、三連休の最終日。
私は一般社団法人森から海へが主催する『鹿と森と人の関係を知る』日帰りツアーへ行ってきました。
当日は新宿駅に集合し、バスで山梨県の道志村へ。
2時間ほどのバスの道中では、元麻布大学教授であり40年以上も鹿の生態系の研究をされている南正人先生のノンストップラジオ(という名の講座とQ&A)。
道志村到着後は、地元で活躍されているハンターの皆さんのガイドで鹿の痕跡を見るべく急斜面の山へ。
その後ハンターの方々のお話を聞き、ランチには捕獲した鹿を使った鹿肉のシチューやボロネーゼ(商品としてレトルトパウチで販売されています)を。
最後に、本日のメインとも言える鹿の解体を体験させていただきました。
非常に受け取るものが多く、その中で私の深いところに触れたものを綴ります。
※鹿の解体画像を載せてますので、苦手な方はご注意ください
南先生のニュートラルであり続ける姿勢
私が今回最も深く感化されたのは、南先生のあり方です。
森から海への評議員でもある南先生。
評議員、大学教授・・・というお役柄だけ聞くとなんだか堅苦しく感じていたのですが、実際は全く逆。
とてもやわらかくニュートラルな方です。
鹿が増えていることは事実。
それにより、森が枯れて生態系全体に影響が出ていることも事実。
また、農業や林業等の人間の活動にも被害が出ていることも事実。
しかし、南先生は鹿が増えていることを100%「問題」として捉えてはいません。
鹿を悪者にもしていません。
一切、決めつけていません。
このあり方は、40年以上も鹿をめぐる生態系を研究されてきたからこそなのだろうと思います。
私は大学で卒業論文を書きましたが、ひとつのことを深めようとすればするほど学ぶことが膨大になってゆきました。
関連する事、背景、歴史・・・幅広く学ばなければ本当の意味で捉えることができないからです。
人間に例えると分かりやすいですよね。
その人の生まれた土地、家庭環境、人間関係、体験したこと、発言した言葉、行動、あり方・・・知ろうとすればするほど広がりを見せます。
問いに対する終わりはないどころか、正解もありません。
そして結局のところ、いくら客観的に捉えようとしても個人の捉え方や価値観が入ってきますので千差万別。
だからきっと、南先生は常にすべてを包括的に捉えようとしていて、一切の決めつけや断言もしないのだろうと思いました。
鹿だけにフォーカスするのではなくて、様々な側面、意見、データ、研究結果を基に、もっともっと広く深く高い視野で本質を捉えようとする。
この姿勢を忘れずにあろうと思いました。
でも、南先生で一番驚きのポイントは、話が全く尽きないこと(笑)
行きのバスの中で1時間半ほど、帰りも同じくらいずーーーっとトーク。
さすが元大学教授(大学の講義は90分ですしね)。
しかしそれ以前に、止まらないんだろうなと思いました。大好きだから話し出すと止まらない・・・
そして鹿のことだけではなくて、ホントなんでも答えてくださいます。(サル、カラス、スズメ・・・身近な野生動物の質問なもいっぱい受けていました)
そんなところも南先生の魅力です。
まるで儀式ーひとつの肉体を前にして
動物を解体する。
その仕事に携わらない限り、またはその機会がない限り、一生のうちで体験することはほぼないかと思います。
私も人生で初めて行いました。
今回の鹿はロードキル(交通事故)で死んでしまった個体で、丸々そのままの肉体ではなくハンターさんが事前に血抜きをし、内臓をすでに取り出していただいた状態にナイフを入れました。
私はこれから刃を入れる肉体を前にして何を思うのか、ツアー前には想像がつきませんでした。
いざ目の前にして湧いてきたのは・・・敬意。
敬意という言葉がこの感覚にピッタリかは分かりませんが、静かで厳かなひとつの「儀式」のような感覚でした。
だから、生臭かろうが、グロかろうが、血がつこうが、ダニがついていようが。
真摯に向き合い積極的にやることこそ、敬意だと思いました。
そうでなければ失礼であると。
今回はロードキルの個体だったためか、車にぶつかった左腹部付近のダメージが大きかったです。
内臓が破裂していたんでしょう。
ハンターさんが猟銃で捕獲した鹿はもっと内部まで美しいんだとか・・・
人間の食肉用としては扱えないけれど、加工すればペットフードとして利用できるとおっしゃっていました。
鹿の解体に携わり、今こうして振り返って書いていると、ようやく言語化できるようになったことがあります。
それは、目に見えるものにしか意識を向けていない(向けることができない)こと。
私はお肉はもちろん食べますし料理もしています。
そのお肉たちは私たちの目の前に現れる前に、誰かが屠殺、解体、加工をしているから手に取れるわけです。
しかし、スーパーで目にし料理するその時はただの「美味しい食べ物」としか見ていません。
解体した鹿も、大枠で捉えればスーパーで売られている牛、豚、鶏などと同じお肉。
私たちは普段それを食べている。
頭では分かっていても、実際に体験しないことには確かな実感になりませんでした。
想像は出来るけれど、やはりそこに確かなものが無いのです。
それ以前に、お肉が食べられる背景に目を向けることもありません。
便利な社会になったからこそ、意識しない限り「繋がり」は分からない。
全体として捉えることは出来なかったと感じました。
命の循環とつながり
鹿肉は正直高いです。
しかしその理由も肌で実感しました。なぜって、野生動物のお肉だから。
ハンターさんが急斜面のけもの道をたどり山を登り、仕留め、さらに数十キロの個体とともに下山し、それからやっと人の手で一体一体解体・・・
飼育管理され、さらに加工のシステムも整っている食用動物たちとはハードルの高さが違う。
だから、命の循環が止まっている。
仕留めても90%の鹿はそのまま放置されるか、焼却されるかの状況。
森から海へはこの鹿の命を無駄にしたくないからこそ、現在わずが10%しか循環していない捕獲された鹿肉を使い、鹿のめぐみを作っています。
私はその理念に改めて深く共感しました。
頻繁には買えないけれども、世田谷キャッツにはこの鹿のお肉を食べてもらいたい。
そして、今後もたくさんの方に参加してもらいたいと思えた貴重なツアーでした。
ちなみに、みうりくさんのご飯担当はいつも私ですが、この日の夕方は旦那さまが対応。
私がツアーのために朝早く出るのに合わせてご飯を上げたので、夕方は腹減ったコールが激しかったそうです(笑)