鹿のめぐみプロローグ ー国産鹿肉ペットフード を作ることになったわけー

渡邊はもう40年くらい前にアメリカのワイオミングで鹿をハンティングしたことがあります。渡邊が23歳から38歳までの15年間お世話になったタスコジャパンではライフルスコープを作っていました。毎年新しいモデルの発表に世界中のお取引先様やメディアの人をワイオミングの牧場に招待をしてPRをするのです。この時は日本から3名の方をご招待しました。一人はハードボイルド小説を書かれている作家、写真家、アウトドア用品を扱っている社長。この3名で、皆さんはすでに相当なハンティングの経験者でありました。渡邊は全くの素人で主催者側として引率をさせてもらいましたが、いきなり練習場に連れていかれて2時間ほど撃ち方を教わって、でもどういうわけか渡邊はすぐに的をちゃんと撃てるようになりました。自分でもちょっと驚きました。それからジープに乗って牧場に繰り出しました。

冬の寒い中、吐く息が白くて、雪はないのですが、ピーンと張りつめた乾燥した空気です。はるか遠くにいる鹿を見つけました。ジープを降りてほふく前進をしながらライフルを撃てる態勢取り狙らうのです。

ハンターのルールで仕留めた鹿はその時にすぐに腹を裂いて臓物を取り出してからジープに積み込んでミート工場にもっていくんです。渡邊は生まれて初めて生きている鹿をライフルで仕留めたのです。ライフルスコープから見るズームアップした鹿の目がまっすぐに私を見ています。撃て!と私のそばにいるコーチからの声で思わず撃ちました。ライフルスコープから鹿の顔が消えていました。約150m先の倒れている鹿を目の前にしてとってもショックでした。この自分が撃って殺してしまったのだということ。そして次にはハンティングナイフを渡されてお腹を裂いて臓物を取らなきゃいけないのだと聞かせれて、それはできないと涙ながらに言いましたが、それはハンターとしての倫理観とルールの上でぜひやって下さいと言われ、鼻水と涙でグチュグチュになりながら腹を裂いて臓物を取り出しました。フワッと湯気が立ち上り、おなかに手を入れて臓物を取り出しますが、その体温の高さと柔らかさ、今までちゃんと生きていた鹿をこの私が殺してしまったということに本当に申し訳ないと。本当にショックでした。

でもこのことを経験したからこそ、命の大事さ、人間が生きていくうえで多くの命の元をいただいているのだという実感、そして感謝が芽生えました。

また昨年亡くなられたCW二コル三との出会いも大きかったです。彼とは20年くらい前にお目にかかっていました。日本人の女性で鹿撃ちをした人に会ったのは初めてだったようです。それで鹿の食文化を日本にちゃんと根つかせたいって思っていた二コルさんは渡邊に鹿の解体書を贈ってくれました。

 

これらの経験が今の森から海への財団を立ち上げる大きな原体験としてエネルギーになったと思います。

 

それから何年もたって今の評議員の南正人先生とのであい、そして理事の池田雅子さんとの出会い。日本の鹿の森へのインパクトの大きさを教えてくれました。

本当にすごい被害を目の前にして、これを何とかしなきゃ、この森が死んでしまうんだ。

この森は22世紀までは持たない。行政は何をしているの?自治体は?環境省は?そんな疑問からいろいろと活動をしながら、渡邊も具体的に行動をしなければとの思いで鹿肉を使ったペットフードを作ることになりました。